現代史

読書 美徳のよろめき

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読むのは二度目(前回は大学生のころ)

育ちの良い若奥様「節子」の不倫話で、ストーリーは単純なのだが、心理描写の美文章には引き込まれる

現実には下品になりがちな不倫を、徹底的に美しく(道徳的という意味ではない)描いている

不倫実行中の人が読めば、自分たちのしていることが薄汚いことではなく、美しく高貴なことであるとの自覚を深めるかもしれない

それを三島は「美徳」と呼んでいる

まさにニーチェだ

節子を取り巻く男たち(愛人、夫、息子、父)は、定型化していて描写に奥深さはなく、ひたすら節子の心理だけを追求している

不倫が珍しくもない現代から見ると、時代の違いを強く感じるが、それが逆に今読むと新鮮さにもなっている

不倫における女の心理を男が書いたというところが、まさに文学なのだが、女性から見たら不自然な描写も多々あるのかもしれない

本書を読んだ宇野千代から三島由紀夫は『あなたはよろめいたことのない人ね』と笑われたそうだ

「恋愛において、女は常にプロだが、男はアマチュアである」と誰かが言っていたなぁ

月丘夢路主演で映画にもなっている (^_^;)

 

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還暦ビキニ

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 昭和のおじさんたちが

  昔を懐かしんで

 買っているのかな?

  (^_^;)

 

「鬼滅」も還暦ビキニには刃が立たない!?

40年ぶりのビキニ姿が話題の女優、宮崎美子(61)

「2021年度版カレンダー&フォトブックセット」

(12月25日頃発売)に予約が殺到している。

税込み6600円と少々値が張るにもかかわらず、アマゾンのカレンダー部門の売れ筋ランキングでは23日朝の時点で堂々の1位。

2位と3位の「鬼滅の刃」関連のカレンダーを上回っている。

4位は動物写真家、岩合光昭氏の猫カレンダー、5位は高橋の卓上カレンダーといった定番商品。

7位には人気俳優、横浜流星(24)のカレンダーがランキング入りしており、宮崎の強さが分かる。

 

 

世田谷・杉並の真っすぐ道路

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今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました

道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい

これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです

秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます

一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている

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これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい

用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです

(^_^;)

 

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世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。

都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。

地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。

この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。

現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。

東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。

にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。

実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。

荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。

そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。

現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。

また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。

この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。

 

 

あれから半世紀

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11/25は「あの事件」から半世紀です

日本が生んだ戦後最大の文学的天才が、現実を相手にした行動では、なぜ児戯にも似た杜撰極まる方法で命を落としたのか?

今となっては藪の中だが、おそらく三島は事件の非成功を百も承知で、あえて自らの悲劇的な死への舞台装置として、あの事件を利用したのだろう

ニーチェといい、三島といい、なぜ天才は「悲劇」にかくもこだわるのだろうか?

下の文章は、宮崎正弘氏による書評です

(^_^;)

 

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あれから五十年が閲したとは思えないほど、須臾の時間だった。

昨日の出来事のように、フト生前の三島、森田両氏と会話している(夢の中で)。

おりしも書店に行くと三島本が並びだした。

それもかなりの数である。

「定番」の人々の回想録という周期はおわって、三島事件から後に生まれた世代が、それぞれのアングルから三島由紀夫の世界に挑んでいる。

たまたま日本経済新聞にも「三島五十年」のシリーズが特集され、宮本亜門、宮台真司、吉田大八、熊野純彦など新世代が、それなりの三島を語っていて、視野狭窄、ピント外れ、マニアック、哲学的ブンガク論だったり、しかし、それぞれに光る一行がある。

第一周期は三島と直接付き合った人たちの交友録的評伝の列だった。

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林房雄、石原慎太郎、佐伯彰一、奥野健男、坊城俊民、三谷信、渋沢龍彦らが続き、第二周期は客観的な評伝へと移る。

猪瀬直樹、村松剛、スコット・ストークス、ジョン・ネイサン、松本健一、そして編集担当だった川島勝、小島千加子。

異色は堂本正樹、野坂昭如、福島次郎、岩下尚史氏らの作品だった。

加えて文学的見地からは田中美代子、松本徹ら夥しい人が三島を語ったのだ。

最近では三島と直接付き合った自衛隊OBが退役後の感想をのべたものに加わって、杉山隆男、浜崎洋介氏らの出色の三島論もでてきた。

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ともかく半世紀も経つと、あの驚天動地の三島事件をかくも冷静に見直し、くわえて三島文学に対して、一般的な、通俗な評伝を越えた、ある種冷徹な評価ができるのか、と本書を読み終えて、全体を貫く客観性にまず感心した。

著者の佐藤秀明氏は「前意味論的」と分析方法を断っているが、本書は相対的には意味論である。

さすがに三島文学館の館長を兼任する著者は、四谷の生家を探し当て、死後の評論のなかからも、珠玉を選ぶ一方で、間違いもただしていく。

たとえば、秋山駿は

「死後も成長し続ける作家」

と三島を評した名言を残したが、これはドストエフスキーの言葉がオリジナルだという。

三島が少年時代から憧れ続けたのは「悲劇的なもの」だった

初期の作品群を一覧しても、美しき夭折への、名状しがたい憧憬に満ちている。

衝動的な渇仰が『花ざかりの森』にも『軽皇子と衣織姫』にも、底辺に流れ、漂う。

「前意味論的な欲動」と著者は言う。

処女作と遺作には静謐が共通する。

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昭和四十三年の『太陽と鉄』の最終章には、「身を挺している」「悲劇的なもの」という語彙に加えて「栄光と死」を望んでいると書かれている。

村松剛は「決意を彼が公にした最初の文章だった」と『三島由紀夫の世界』で見抜いた。

しかし『悲劇的なもの』と『身を挺している』という言葉は『仮面の告白』で出てくるのだ。

佐藤は

「職業作家として出発した記念碑的な作品に書いた言葉を、二十年後に死の予感を告白する文章に織り込んだのは、意図してのことであろう」

と分析していて研究者としての慧眼が冴える。

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また『憂国』はまさに悲劇的イロニーに充ち満ちた短編だが、

「作品の意匠は全く異なるが、『潮騒』の幸福感に通じている」

とする。

なるほど、そういわれてみればそうかもしれない。

気になった箇所は三島が机上の空論的に皇居突入計画を立てたという、これは生前も耳にした風説で、当時評者(宮崎)の耳にも聞こえてきたが、佐藤氏はこの顛末を文献的に振り返り、関係者の著作も紐解いている。

真相は薮の中、計画を打ち明けられた自衛隊は冗談だろうと、その場では同調するフリをしたのだろうと評者は想像する。

げんに富士学校へひとりで入隊時に対応した幹部は、三島のクーデター計画を聴いて

「私らは役人ですから」

と冷ややかに言い放ち、以後、明確に距離を置いた。

現在の自衛隊にクーデターを望むこと自体が妄想である。

それは体験入隊を通じて、三島はいやというほどに体得していた。

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まして楯の会を始末に負えぬ存在と考えていた財界の桜田武や自民党は、冷笑したフシが濃厚。

そこで三島は法螺吹きの田中清玄にも自衛隊への斡旋を頼んだとか、虚実こもごもだが、三島が「愛国者」となのる軍人OBや自衛隊幹部、財界の有力者に課した「リトマス試験紙」だったのではないのか、というのが評者の見立てである。

というのも、この皇居突入計画を聴いて以後、距離を置き始めた人が多かったからだ。

ついで三島が吹聴していたのは治安出動を契機とするクーデター計画で、仄聞していた限り、だれも本気とはとっておらず、文豪ミシマの独特のアフォリズム、いや何かの芝居なのかと誤認した。

じつは評者、このあたりの経緯を村松剛氏や編集者、そして楯の会の会員ながらも三島とは距離を置いた学生達から聴いており、その本気度と計画の杜撰さとの整合性を不安に思ったものだった。

そのあとに森田必勝が学生長になって本格的に計画立案に加わり実現性のたかい、綿密な行動計画へ移っていくのである。

佐藤氏はこう言う。

「(戯曲『わが友ヒトラー』にでてくる)レームと突撃隊は、明らかに三島と楯の会を表している。楯の会など政治の権謀術数から見れば、子供騙しの集団でしかないことを作者(三島)は知っている。しかし同時に三島は、レームの単純な盲信が『神々の特質』であることも知り、この戯曲であっさりと粛正される『三度の飯よりも兵隊ごっこが好き』なレームを、戯画化したうえで憧れている」(182p)。

冷徹な、あまりに冷徹なほどの客観性で、本書は一貫している。

「宮崎正弘の国際情勢解題」より

 

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▼三島由紀夫は、ものすごい猫好きでした (^_^;)

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訃報 作曲家の筒美京平さん

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作曲家の筒美京平さんが7日、誤嚥(ごえん)性肺炎により死去していたことが分かった。80歳。

かねて自宅で病気療養していたという。

故人の遺志により、葬儀はすでに近親者により執り行われた。

「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、現段階で行う予定はないという。

筒美さんはレコード会社勤務を経て、作曲家に。

1971年の尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、79年のジュディ・オング「魅せられて」、80年の近藤真彦「スニーカーぶる〜す」など数々のヒット曲を手掛けた。

 

 

読書 青空の下で読むニーチェ

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筆者は国際政治を論ずる保守系の論客

ニーチェ論と言うより、ニーチェを下敷きにした三島由紀夫論

ニーチェの主張するニヒリズムに最も近いのは、日本の武士道であるとする

ルサンチマンを嫌悪し、強く生きよと説くニーチェは、武士道(特に勇の武士道)と合いそうだ

世の中を覆い尽くす勢いの女性性に対する、男性性の復権宣言か?

来月で三島由紀夫の自裁から半世紀

読みたくなってきました

(^_^;)

 

 

読書 長崎チャンポン

31yhFIMWXLL._SX338_BO1,204,203,200_無頼派の作家、坂口安吾が昭和20年の終戦の5年くらい前と、終戦の5年くらい後、長崎を2回旅した体験をエッセイにしたもの

戦前の長崎は造船所や軍事工場が多く、軍の警戒エリアなので地図もなく、旅に苦労しています

今はスマホにグーグルマップがあるので、旅が非常に楽になりました

彼は隠れキリシタンについて書こうと思って取材旅行をしていた訳です

その中で、長崎の人が長崎チャンポンを大食いすることに驚いています

彼の言によると、現地の人は誰でも、大皿で3人前くらいのチャンポンを、みんな軽く食べてしまうのだとか

長崎では明治になっても隠れキリシタンへの弾圧が続き、逮捕されて拷問されたりして信仰を捨てること(これを「ころぶ」と呼ぶ)を求められています

そのとき厳しい拷問に耐えた信徒の多くが、食事が足りないからもっと食わせてくれるなら、ということで信仰を捨てた(ころんだ)と、坂口安吾は驚いています

記録によると、このとき逮捕された隠れキリシタンには「1日3合」の飯が給されていたそうで、現代人の感覚では簡単に食べられる量ではありません

長崎人の大食(食欲)には驚くべきものがあるとしています

(^_^;)

▼長崎チャンポン

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読書 日本文化地理大系2 福岡

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漫画家のつげ義春が旅に出る時に読んでいた旅ガイド

旅ガイドと言うより、かなり学問的な地理の本で、各県の自然、歴史、経済、社会などが詳しく書いてある

欧米で出版されてる旅ガイド(ミシュランとかロンリープラネットとか)は、歴史や社会についての詳しい説明があるのに、日本の旅ガイドは、どこのお店が美味しいとか、どこのお土産がカワイイとかに特化していて、イマイチ物足りない

本書は昭和36年(1961年)に出た古い本なので、高度成長期より前の「古き良き日本」を感じることが出来ます

ヤフオクで激安で買いました

大判で400ページもあるので、今日は福岡県を読みました

(^_^;)

 

▼炭を運ぶ人たち 今の中国奥地みたい ((((;゚д゚))))

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▼まだ集塵装置も無い時代の煙突

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▼八幡製鉄所の高炉

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古河庭園を歩く

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今日は「都民の日」で、東京都が運営している公園とか動物園が無料公開なので、まだ行ったことのない「古河庭園」へ行ってみました

足尾銅山などを経営していた古河財閥の当主のお屋敷だった場所ですが、戦後の財閥解体でGHQが接収し、さらに国の所有になりました

その後は荒れるままになっていて、幽霊屋敷などと呼ばれていた時期もあったそうですが、1980年ころに東京都に貸し出され、公園として整備されました

もう少しするとバラの花や紅葉が美しいみたいですけど、今日はまだ早かった

(^_^;)

詳細はここをクリック

 

回転木馬の旅

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 渋谷のハチ公広場にある

  東横線の車両を撤去して

 替わりに設置したら

  面白いんじゃないかな

 (^_^;)

 

8月末に閉園した東京都練馬区の遊園地「としまえん」を代表する遊具だった回転木馬「カルーセルエルドラド」。

ドイツで造られ、第一次世界大戦を逃れて米国に渡り、約50年前に日本にたどり着いた。

修復後に移設される予定だが、製造から100年以上たつ世界最古級のメリーゴーラウンドだけに、関係者は新たな安住の地に頭を悩ませる。

としまえんによると、エルドラドは1907年にドイツの機械技師ヒューゴー・ハッセが生み出した。

直径18・4メートル、高さは約8メートルで、乗り場は3段に分かれ、内側に行くほど回転速度が上がる。

24頭の木馬、豚やゴンドラにはアールヌーボー調の豪華な彫刻が施されている。

製造当時は移動式で、欧州各地のビール祭りやカーニバルを回っていたが、政情が不安定となる中、11年に米ニューヨークの遊園地に移されることになった。

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ニューヨーク時代は、セオドア・ルーズベルト米大統領や女優のマリリン・モンローも乗り心地を楽しんだとされる。

しかし、遊園地は64年に閉園。

エルドラドは解体され倉庫に眠っていた。

「伝説の回転木馬」のうわさを聞きつけ、としまえんが購入したのは69年のこと。

園の歴史に詳しい事業運営部長の内田弘さん(65)は

「状態を確認せず買ったので、

 船便のコンテナを開けた際は

 老朽化に驚いたそうです」

2年の修復を経てデビューしたのは71年。

豪華な装飾が人気を集め、園を象徴する存在となった。

安住の地を得たかに思えたエルドラドだったが、今回の閉園で流浪の旅はまた続くことに。

別の遊園地やホテル、米国へ戻す-。

複数の案が浮上しているが、「どれも決め手に欠ける」と内田さん。

「世界の歴史とともにあった偉大な遊具。

 私たちが決めるのもおこがましい気すらします」

と心情を語った。