若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)
若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)


奈良公園名物のシカさんたちです
カワイイですね
シカさんに危害を加える人間がいないので、安心しきっているようです
逆に、シカせんべいをあげるのが遅い人間には、「早くくれ!」と頭突きしたりするシカさんもいるそうです
奈良公園のシカは小さくてカワイイですけど、北海道で見たエゾシカ(→)は非常に大きくて、近くで見ると怖いです
道東(北海道の東側)では、道路を横断するエゾシカの群れを何度も見ました
うっかりクルマでエゾシカに衝突すると、シカもケガをしますけど、クルマも大破して廃車になります
それほどエゾシカは大きいんです
古代史の本を読むと、縄文時代の日本列島には、シカとイノシシがいっぱいいました
まだ農業(イネの栽培)が始まっていないので、木の実を拾ったり、海岸で貝を拾ったり、海や川で魚を釣ったりしながら、ときどき狩猟で獲れたシカやイノシシの肉を食べていたそうです

日本史を長期的に見ると、縄文時代の食生活が非常に豊かで、それからだんだん貧しくなって、江戸時代に最悪となり、明治になってかなり過ぎてから、やっと縄文時代の水準を超えました
江戸時代は、貧富の格差や、都会と田舎の格差が非常に大きくなっていて、東北の農村が飢饉で餓死者が出ていた同じころ、江戸ではグルメブームが起きて、どこのお店が美味しいとか書いたグルメ本がベストセラーになっていたそうです
((((;゚д゚))))
中国コロナで観光客が減ったために、もらえるシカせんべいが少なくなって
かわいそうに、ヤセてしまったシカさんもいるそうです (T_T)

▲殺人犯・宅間守 出刃包丁で子ども8人を刺し殺した
2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
虐殺された子供たちは、事件が無ければ、今27歳くらい
吐き気のするような虐殺事件ですが
この種の凶悪犯罪を予防することは
現在でもほとんど不可能です
((((;゚д゚))))
大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、出刃包丁を持った男1名(被告人:宅間守)が、平成13年6月8日(金)の2時間目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入した。
校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した。
平成13年9月14日大阪地方検察庁は、被告人を殺人、殺人未遂、建造物侵入及び銃刀法違反で、大阪地方裁判所に起訴した。
【死亡者】 8名[1年男子児童1名 2年女子児童7名]
負傷者 15名[児童13名(男子5名 女子8名) 教員2名]
平成13年6月8日午前10時過ぎころ、犯人は自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。
2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。
犯人は、10時10分過ぎころ、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し死に至らしめた。
犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て東に隣接する2年西組の教室に向かい、10時15分ころテラス側出入口から同教室に入った。
当時2年西組では、児童全員前を向いて座り、担任教員は犯人の侵入方向に向いて教卓の席に着いていた。
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は気付かなかった。 犯人は侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
犯人に気付いた、2年西組の担任教員は、悲鳴をあげ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、利用を停止した。その後、同教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をせず、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走った。
途中、同教員は、廊下で倒れて苦しんでいる児童(この2年南組児童は他の教員がかかわるまで約6分間放置の状態であり、その後死亡した。)を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分(警察より確認済み)、110番に通報した。
同教員は、事務室にて110番に通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に時間がかかった(約8分間)。そのため、警察からの救急車の依頼が遅くなり、警察が、救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、犯人は逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で5名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、犯人は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かい、10時15分過ぎころ、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し又は切り付けた。
犯人は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられたことから、テラス側出入口に向かって逃げたが、その途中で教室後方にいた児童1名と、さらに同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
犯人は、教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、犯人は2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分ころ、犯人は、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声かけできておらず、避難誘導が行われなかった。
犯人は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名を死に至らしめた。さらに、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆けつけた2年南組の担任教員に背後から出刃包丁を持っている右腕をつかまれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
犯人は、10時20分ころ、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
犯人を取り押さえてから犯人確保までの間、学校全体としての状況把握と組織的な対処行動ができなかった。死亡した8名の児童は即死ではなく、救命活動の遅れが死因に直結する失血死である。児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置が行えず、被害を最小限にくい止めることができなかった。
負傷児童の氏名、場所、人数、負傷の程度の確認など、学校全体としての状況把握ができず、救急車に付き添うよう申し出た教員もいたが、管理職や教務主任は、混乱の中で事件の全容をつかめず、20分前後も放置され既に致死的な状態になっている負傷児童の搬送に、ほとんどの教員が付き添うことができず、また、保護者への児童の搬送先病院の連絡が大きく遅れてしまった。
そのため、事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことができず、自力で探し回った病院で既に死亡した我が子と対面することとなった。また、事件後において、学校からの説明や弔問が遅れ、教員の心ない表現、発言、行動が遺族の心を大きく傷つけた。
(注)事件の経過については、『平成13年12月27日、宅間守被告人の初公判における「冒頭陳述」(大阪地方検察庁作成)』、『平成13年11月8日付け、大阪教育大学教育学部附属池田小学校長作成「I.学校の教育責任に関する反省点(事件後5ヶ月時点)」及び「II.事件の経過および教職員の行動と課題」』からの引用又は要約したものである。
宅間守は、1963年11月23日に生まれ、2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
宅間守は中学校時代、好意を抱いていた女子生徒の弁当に自分の精液を掛けた
宅間守は自衛隊に所属していた頃、家出少女を下宿に招き入れ性行為に及んだ為、航空自衛隊を除隊させられている
宅間守が最後の児童を刺した直後に呟いた言葉は「あーしんど!」である
宅間守には兄がいたが、弟が池田小学校で事件を起こす遥か前に、弟の破綻した行動に心を痛め、小刀で自分の首を突き刺し自殺している
宅間守は裁判の証言の中で、「小学校ではなく、保育園か幼稚園にしとけば、もっと殺せた」という言葉を発している
虐殺犯人 習近平 380万人虐殺
自国の武漢研究所に命じて、コロナウイルスに遺伝子操作を加えた「コロナ生物兵器」を製造させた
さらにこれを武漢研究所の外部にバラまき、世界中に感染を広げて、すでに380万人を虐殺した
現在も地球上で善良な人々を、毎日1万人、虐殺し続けている

▲殺害現場となった、立川駅近くのHOTEL CITY(ホテル シティ)
この種の通り魔的な殺人は、物とりや怨恨といった伝統的な動機とは異なるので、「動機なき殺人」と呼ばれることもありますが、実は殺害動機は有り過ぎるほど有る!とも言えそうです
死体や殺人で性的興奮を感じるというのが、この種の犯人たちに共通の殺害動機です
余りにもオゾマしいので余り報道はされませんが、殺人を犯した犯人が死体とたわむれながら性的興奮の極みに達し、射精に至るという場合も少なくありません
よく「愉快犯」などとも呼ばれますが、「殺してやったぜ、キャッハー!」というような、牧歌的な世界ではなく、犯人は人を殺すことによって、あるいは自分が殺した死体とたわむれることによって、全身を貫くような快感(絶頂感)を味わっているようなのです
これはDNAレベル(遺伝)であることが多く、残念ながら矯正の可能性は極めて低いです
そして今回の犯人は19歳ですから、少年法に守られて極刑を免れ、おそらく数年で社会復帰します
そしてまた同じ犯罪(殺人)を繰り返す可能性があります
この種の犯人に「殺人をやめろ!」と言うのは、同性愛の人に「異性を愛せ!」(あるいは、異性愛の人に「同性を愛せ!」)と言うようなものです
前者は社会に重大な迷惑を及ぼし、後者はそうではないという、法的には重大な違いがありますが、深層心理の性的欲求メカニズムは、よく似ているように思えます
もしあなたが、ごくふつうの異性愛の人なら、「異性愛をやめて、同性を愛せ!」と言われた時、どう感じるでしょうか?
異性愛や同性愛にも性的欲求の個人差(強弱)があるように、死体愛(殺人愛)にも性的欲求の個人差があるように思えます
死体愛(殺人愛)の性的欲求があるけれど弱い人は、理性で制御(コントロール)して実行には及びません
いわゆるサディズム傾向のある人には、そのようなタイプの人が多いのかもしれません
しかし少数ながら、そうではない人(理性で制御できない人)も確実に存在しているようです
DNAレベルの強烈な性的欲求ですから、理性で簡単に制御できるようなものではないので、本人にもどうしようもないのでしょう
このような不幸なDNAで生まれてきた哀れな人を、法で「罰する」ことの妥当性には議論が必要ですが、社会から「隔離する」ことの必要性には異論が無いと思います
問題なのは、殺害動機がDNAレベルかどうかの確定的な判断が難しい(ほとんど不可能!)ということです

たぶんDNAレベルだろうという程度なら誰でも言えますが、刑事裁判の判決として合理的に確定させるのは、今のところ、まず無理なのではないでしょうか?
無理ならば、現行少年法に従って数年後には社会に解き放ち、次の犠牲者が殺されるのを待つ!ということになります
この種の犯人には、虫や小動物を殺すことを異常に好むという「前兆」があるのですが、これだけで逮捕したり社会から隔離するのは、非常に困難です
人間存在の根元に関わる「心の闇」であり、「神のみぞ知る」の世界です

恐ろしいことです・・・
((((;゚д゚))))
東京都立川市のホテルで6/1午後、男女が刺され死傷した事件。
男性(25)の腹部を包丁で刺し殺害しようとして、殺人未遂容疑で逮捕されたあきる野市の少年(19)が
「人を殺す動画を見て刺激を受け
無理心中を撮影しようと思ったが
女性に断られ、けんかになった」
と供述し、女性殺害もほのめかしていることが6/2、捜査関係者への取材で分かった。
警視庁立川署捜査本部は、経緯や供述内容を慎重に調べている。
女性は相模原市在住。
司法解剖の結果、死因は失血死で、刺し傷は約70カ所に上った。
胸の傷は深さ約18センチで、心臓を貫通していた。
アメリカみたいに爆破解体すれば
安く済みそうだけどね~
(^_^;)
廃虚マニアの間で“むち打ち観音”と呼ばれる「世界平和大観音像」(兵庫県淡路市)が解体される。
首部分に設置された展望台が、まるでむち打ち治療用のギプスのように見えるため、この異名がついた。
1982年に建設、高さ約100メートル。
当時、“世界一の高さを誇る観音像”として知られ、人気観光スポットになった。
ところが次第に物珍しさがなくなり、来場客は激減。
所有者で地元出身の資産家だったオクウチグループの創業者、奥内豊吉氏の死後、運営を引き継いだ妻が死去した2006年、経営が行き詰まり閉鎖。
この十数年、管理が行き届かず廃虚化。
2020年からは国が所有者となり解体を検討していた。
今回、解体工事を請け負うのは大阪市にある建設会社。
8億8000万円で落札し、早ければ6月上旬にも工事に着手し、撤去完了まで1年8か月かかる予定。
愛媛県在住の廃虚マニアの男性は
「もう5年くらい前のことになります。友人と館内の探索をしたことがあります。
目的は、首の部分にある展望台に登ることでした。
当時は、まだ入ることができたので、一気に上がることができましたね。
展望台から見る景色は、もう最高でしたね。潮風が気持ちよかったです。
こんな快適な廃虚は他にはありませんよ。
その末期は、観光業界からもそっぽを向かれた施設でしたね」
「B級感たっぷりの廃虚でした」
と振り返る。
この観音像の台座部分となるビルの1階には、豊清山平和観音寺がある。
表向きには宗教施設だったが、実際には宗教施設というよりも、物好きな資産家が手がけたミュージアム。
工事が始まると、全体を覆い尽くすドームができるため、見られなくなる。
うちの近所(東京)では
曇っていて
何も見えませんでした
(T_T)
昨日5/26(水)、日本全国で観測可能な皆既月食が起こりました。
皆既月食は、満月が地球の影に完全に隠されて赤黒く見える天文現象です。
また、今回の満月は今年一番大きく見える満月で「スーパームーン」でもありました。
次に日本全国から皆既月食が見られるのは、1年半後の2022年の11/8です。
北海道のなよろ市立天文台きたすばるでは、皆既月食の一部始終が撮影できました。
▲時速100キロで中学生をはね殺した犯人の山田穣(57)
57歳にもなって暴走族やってる
こんなキチガイ殺人野郎が
平気な顔して街を暴走していました
((((;゚д゚))))
5/2、制限速度を大幅に超える時速100キロで自転車の中学生をはね殺した疑いで、福岡市早良区の会社員・山田穣(57)が、過失運転致死の疑いで逮捕された。
中学生をはね殺した犯人の山田穣は、5/2午後8時半ごろ、福岡市早良区城西の市道交差点で、自転車で道路を横断していた中学3年の少年を、制限速度の2倍、時速100kmではね殺した疑いが持たれている。
事故映像を見ると、自転車に対し、画面右側から来た山田穣の白い車が、猛スピードで爆進しているのがわかる。
捜査関係者によると、中学生をはね殺した犯人の山田穣は、制限速度の2倍、時速100kmを出していたという。
中学生をはね殺した犯人の山田穣は「何キロぐらい出していた?」との質問に
「スピードメーターを見て走ってるわけではない
たぶん50~60キロだったと思う
事故当時の記憶があいまいだ
事故は一瞬なので、どうしようもなかったと思う」
などと、すぐバレる真っ赤なウソをつきながら、まるで他人事のように容疑を否認している。
サックス奏者の山田穣さん
もちろんまったくの別人!
こんなキチガイと同じ名前じゃ
迷惑だろうなぁ~
((((;゚д゚))))
新垣結衣は、私生活ではインドア派として知られている。
2006年に弾けるような笑顔で「ポッキーダンス」(↑)を披露して大ブレーク。
「天真爛漫(らんまん)、明るく元気なガッキー!」
というイメージが定着したが、新垣結衣の素顔は、それとは正反対。
取材すると聞こえてくるのは、「人見知り」「もの静か」な女性ということ。
意外にもダンスは得意ではないらしい。
「ガッキーは沖縄の中学生時代、ティーン向けファッション誌『ニコラ』のオーディションに合格しデビュー。
以後女優として活躍しましたが、本来の性格は恥ずかしがり屋の引っ込み思案。
派手な芸能界になじめず『沖縄に帰りたい』とホームシックになったことも。
外で遊び歩くアクティブなタイプではなく、家にいるのが好き。
心配したスタッフがガッキー会と称して食事やボウリングに連れ出していたこともありました」
(スポーツ紙記者)
自宅でイラストを描いたり、読書したり、詩を書いたり、カメラ撮影したり、と典型的な“文系女子”。
2年前に死んでしまったが「シーちゃん」(→)と呼ぶペットのヒョウモントカゲモドキ(ヤモリの一種)を溺愛していたという。
また
「Tシャツの値段が6000円以上だと買うのに迷う」
とバラエティー番組で発言したように、金銭感覚も庶民的なようだ。
仕事においては真面目、努力家、律義という文句なしの評判である。
そんな新垣結衣を
「本当にすてきな、普通の女の子」
と絶賛した星野源(→)。
俳優やシンガー・ソングライターとして才能あふれる星野源とは、趣味嗜好(しこう)がマッチしたのだろう。
まさに新垣結衣と星野源、お似合いのカップルだ。
私はネコが超ダイスキで
ヘビは余り好きじゃありませんけど
ヘビも飼ってカワイがっていれば
カワイくなるもんなんですかねぇ?
((((;゚д゚))))
横浜市のアパートで、5/6から行方が分からなくなっていた、ペットのニシキヘビが見つかり、捕獲されました。
捕獲されたのは、体長およそ3.5メートルの「アミメニシキヘビ」です。
横浜市のアパートで、住民がペットとして飼育していましたが、5/6に部屋からいなくなっていました。
警察の捜索は5/21に打ち切られましたが、5/22午後、は虫類の専門家がアパートの屋根裏を調べたところ、ヘビが鉄骨に絡みついているのが見つかったということです。
「今までもそこって2回か3回人が入ったりして探している場所だったので、おそらくもっと隠れていたと思うんですね」(日本爬虫類両生類協会 白輪剛史理事長)
「多少脱水してるのかなみたいなところだったんですけど、特に健康面では問題なく。何か事故とかなく確保できたということが、まず一番ほっとしています」(ヘビの飼い主の男性)
捕獲されたヘビは一旦、横浜市に預けられ、譲渡先に引き渡されるということです。
ノンフィクション作家の野地秩嘉さんは、『トヨタ物語』(日経BP)の取材で、工場を取材し、他社との違いに驚かされたという。
どんな点が違ったのか。
FMヨコハマのラジオ番組「FUTURESCAPE」で行われた放送作家の小山薫堂さん、パーソナリティーの柳井麻希さんとのやりとりをお届けしよう――。
工場に足を運び続け70回
【柳井】今日は『トヨタ物語』の著者、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんをお迎えしました。
【小山】これまで野地さんが書いたものはどれも抜群におもしろいんですよ。僕が『キャンティ物語』という野地さんが書かれたものをドラマにさせていただいたのが、もう10年以上前ですかね(2004年「あの日にかえりたい。~東京キャンティ物語~」)。ですから、本を書かれたのはもうちょっと前だったと思うんですけど。
【野地】1994年です。
【小山】野地さんを見ていると、あんまり忙しそうじゃなくて、ゴルフばっかりしている印象がありますけれど、いったい、いつ取材しているんですか。だって、この『トヨタ物語』は、70回も工場に行かれてるんですよね。
【野地】そうなんですよ、70回。トヨタだけじゃなくその他の自動車会社も見に行きました。書く時はあまり考えてません。大したことないんです。調べたことをただ書いてるだけですから。
【小山】野地さんは調べているものを書いてるだけとおっしゃいますけど、読んでいると、野地さんという主人公が旅をしている私小説のようにいつも感じるんです。
【野地】鋭い(笑)。
【小山】影武者となって物語を書いてるだけじゃなく、本のなかに野地さんがいるんですよ。そして、もうひとつ、思うのはこの物語、ドラマにしやすいんです。