1都心

新宿駅の東西自由通路 

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 西新宿帝国(昼の街)と

  歌舞伎町帝国(夜の街)が

 ひとつになるかな~?

  (^_^;)

 

分断された東西の新宿駅が東西自由通路で結ばれた。

1日に約350万人が利用する世界一の巨大ターミナル、新宿駅。

新宿駅前は、高層ビルが立ち並び都庁がある官庁街の西口と、「夜の街」として最近批判されがちな歌舞伎町を擁する東口で、大きく顔が変わる。

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駅構内の複雑さでも有名な「迷宮(ラビリンス)」に19日、駅の東西を直通する自由通路が完成した。

新宿駅が「迷宮」とされたゆえんは、東西が分断されていたことが大きい。

直線なら約100メートルの距離にもかかわらず、改札を通らず行き来するには、駅北側の地下道「メトロプロムナード」を通るか、地上に出て南口前の甲州街道などを回るしかなかった。

これまでは16路線が壁のように駅を分断させ、東西の行き来は遠回りを余儀なくされていたが、自由通路によって移動時間が短縮される。

完成した「東西自由通路」は全長約100メートルの地下通路。

場所は「北通路」の名称でJR線の改札内コンコースだったが、幅が約17メートルから約25メートルにまで拡大された。

東口改札は跡形もなく撤去され、道幅が広く、白が基調の天井や床も相まって新宿駅とは思えない広々とした印象だ。

20日午後でも改札を抜けた利用客から「すごい。広くなった」と驚きの声が漏れ、写真を撮る人も多い。

自由通路の開通に伴い、これまでの東口改札は「東改札」、西口改札は「西改札」と呼び方を変え、それぞれ自由通路に面する位置に移設した。

 

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訃報 三浦春馬さん

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 もしかしてAさんなのでは?

  とゆーウワサも出てますが

 そんなどうでもいい理由で

  自殺しますかねぇ?  (T_T)

 

俳優の三浦春馬さんが18日、死去した。30歳だった。

三浦春馬さんはこの日正午すぎ、東京・港区の自宅で首をつった状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。

三浦春馬さんの自宅からは遺書とみられるものが見つかっており、警視庁は自殺とみて慎重に調べている。

 

▼事件現場

 

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新宿格差

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▲新宿への所要時間格差

 

 中央線快速、埼京線

   湘南新宿ライン、東海道線って

 かなり速いですよね  (^_^;)

 

首都圏に住み、東京都心に通勤している人にとって、その所要時間の差はどうしても気になるものの一つだろう。

山手線の内側を都心として、その西側と東側では、なぜかかなり格差があるような気がしてならない。

2020年6月2日、次のようなツイートが投稿され、話題となっている。

これは、「新宿への所要時間格差」と題した図である。

東京都の副都心・新宿への所要時間40分で行ける距離を示しているようだ。

投稿者のきょむ(@kyomu__c)さんは、続くツイートで、「新宿から東京圏の東側に行くのに距離に対してえらい時間がかかるのが一目瞭然」と解説している。

このツイートには1万3000件を超える「いいね」が付けられ、今も拡散中だ。ツイッターにはさまざまな声が寄せられている。

「おかしい……距離が倍近くあるのに所要時間に変化がない?」

「郊外民からすると乗り換えが多くて近いよりも、

 乗り換え無しで少し遠い方が便利に感じてしまいます」

「ほんとこれなのよ。新宿で飲もうとか言われた時の絶望感たるや。

 大した距離ないのに駅数多いわ乗り換えあるわでマジめんどい」

「これは都心が東西で分断されてるということでは。

 私も反対側に行くと山手線のどっちに乗るべきか分かんなくなる」

この地図を作ろうと思ったのは、いったいなぜ? Jタウンネット編集部は、投稿者・きょむさんに話を聞いてみた。

「東側だけが新宿アクセスから取り残されている」

この所要時間格差について関心を持ったのは、何がきっかけだったのだろう? きょむさんはこう答えた。

「僕自身が23区の北東部在住ながら

 新宿や渋谷の方面に行く機会が多かったので、

 その際の東側の不便さを日頃から感じていました。

 山手線西側の副都心から23区東側に行くのと、

 通勤圏の西端付近の郊外に行くのと、

 同じくらいの所要時間を要してしまうことが多く、

 副都心アクセスにおける東京圏東側と

 それ以外の地域の格差を感じていました」

現代の東京では、都市機能において新宿・渋谷・池袋など、西側の副都心が主要な地位を担っている。

東京23区において、西側と東側にははっきりとした格差がある。

この地域格差は、西側副都心へのアクセス利便性の差と大きな相関があると言える。

きょむさんは、

「現代の東京において、新宿へのアクセス利便性の地域格差は重要であると思い、

 今回のような図式化をしようと思うに至りました」

と語る。

所要時間格差を実際に調べてみて、どんな感想を持ったのだろう?

「元々中央特快で新宿アクセスが便利な西側はさておき、

 南北方面へも湘南新宿ラインの開業により新宿に直結し、

 飛躍的に利便性が高まりました。

 新宿発着及び副都心線直通の私鉄各線にも同じ事が言えます。

 しかし東側だけが、(都営新宿線を除き)ほとんどどの路線で

 新宿へ行くためには乗り換えを要し、都心付近の東西移動でも、

 通過駅ゼロの山手線や地下鉄各線を利用しなければいけないことが多いです」

きょむさんは、

「やはり東側だけが、新宿アクセスから取り残されている」

と力説する。

東側から新宿へのアクセスにおいては、乗り換えの多さのみならず、都心付近の列車の表定速度の遅さも伴って時間ロスが多くなってしまうのが現状だ。

新宿など西側副都心が都市機能の多くを担う現代の東京において、東京圏東部から西側副都心へのアクセスの改善は、今後きわめて重要となってくる、というのが、きょむさんの実感だ。

 

3/14開業 高輪ゲートウェイ駅

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 高輪ゲートウェイ駅は

  すぐ近くに泉岳寺駅があるので

 羽田・成田の両空港へのアクセスにも

  とても便利です  (^_^;)

 

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山手線で49年ぶりの新駅として来月開業予定の「高輪ゲートウェイ駅」について、JR東日本は28日、武漢ウイルスの感染拡大を防ぐため開業後に駅前で行う記念イベントを無期延期すると発表した。

駅は予定通り3月14日に開業する。

イベントは「Takanawa Gateway Fest」と銘打ち、19日から9月6日まで断続的に実施する予定だった。

JR東の最新技術を無料体験できるブースなどを設け、平日に約1万人、土日・祝日に3万~5万人の来場を見込んでいた。

 

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高輪ゲートウェイの位置は品川駅と田町駅の中間。

ここにはもともと広大な車両基地「東京総合車両センター田町センター」がありました。

車両留置箇所を見直すことで、都内の一等地に用地面積で約13ヘクタール、延床面積100万平方メートルの大きな駅が誕生したのです。

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駅をデザインしたのは、新国立競技場などを手掛けた建築家の隈研吾さん。

和を感じさせるデザインで、折り紙をモチーフとした大屋根が特徴です。

ホームから2階コンコース、3階デッキにかけては解放感のある吹き抜け構造になっています。

大屋根は“膜屋根”と呼ばれる、光を通しつつ熱を反射する作りになっています。

日中、内部の温度上昇を抑えながら駅構内へ光を届けることで、空調や照明に使う電気を減らす仕組みです。

ホームは2面4線で、開業後には山手線と京浜東北線が停車します。

京浜東北線は昼間に快速運転を行っていますが、高輪ゲートウェイにも快速が止まります。

駅名の「ゲートウェイ」は、かつて江戸の玄関口「高輪大木戸」があったこともちなんだもの。

2018年6月にJR東日本が駅名を公募し、その中から選んだのですが、1位は高輪、2位が芝浦、3位が芝浜でした。

高輪ゲートウェイは130位だったこともあり、駅名撤回の署名活動が行われたことをご存じの方も多いと思います。

JR東日本は「駅名を変えるよりも浸透させる努力をする」として、撤回しませんでした。

高輪ゲートウェイ駅だけに注目が集まりがちですが、実は今回の山手線新駅の開業は、品川駅周辺の再開発計画「品川開発プロジェクト」の一環として位置付けられています。

今後は駅を中心にオフィスビルや宿泊施設などの高層ビル群が建築される予定です。

これらの建物が完成し、“まちびらき”するのは2024年。

実際に高輪ゲートウェイ駅の周辺を歩いてみると、あちらこちらに仮囲いで覆われた場所があり、工事やその準備が進んでいると実感します。

 

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宴会の儀

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天皇陛下の即位後初めてとなる60歳(還暦)の誕生日を祝う「宴会の儀」が23日、皇居・宮殿で行われ、安倍首相ら三権の長、国会議員ら計約450人が出席した。

一般参賀は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止された。

モーニング姿の天皇陛下は午後1時頃、ロングドレス姿の皇后さまとともに宮殿・豊明殿にお入りになり、

「誕生日にあたり、皆さんと祝宴をともにすることを誠にうれしく思います」

と述べられた。安倍首相は、

「天皇皇后両陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます」

とあいさつした。

天皇、皇后両陛下と皇族方は、三権の長や国会議員らとともに和やかに会食された。

両陛下は午後3時から、宮殿・春秋の間で「茶会の儀」に臨み、同日夕、お住まいの赤坂御所で長女愛子さま、秋篠宮家の長男悠仁さまからお祝いを受けられる。

夜には、秋篠宮ご一家、妹の黒田清子さん夫妻らとお祝い御膳を囲まれる。

天皇陛下は焼酎党

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 ヴィオラ演奏者を歓喜させた天皇陛下

  次は焼酎党の皆さんの番です  (^_^;)

 

バレンタインデーでもあった2月14日、天皇陛下とご一緒に、皇后陛下雅子さまは「世界らん展」をご覧になった。

「とてもつやがありますね。明るい色ですね」

鮮やかな黄色と白の、美しいらんの花をご覧になり、そう感想を話された雅子さま。

「両陛下は最近、ご夫婦そろってお出ましになる機会がさらに増えています。

 10日にも皇居・三の丸尚蔵館でご即位記念の特別展をお二人でご覧になられました。

 天皇陛下は23日に誕生日を迎えられます。還暦を迎える陛下をいつも近くでお支えしたいという思いが、雅子さまにはおありなのかもしれません」(皇室担当記者)

昨年、史上2番目の高齢となる59歳で即位された天皇陛下。

日ごろからご健康にも気を使っていらっしゃるという。

天皇陛下の知人が語る。

「陛下は油断するとお太りになりやすい体質とのことで、実は甘いものはあまりお召し上がりになりません。

 また陛下は、以前は日本酒がたいへんお好きでしたが、最近は特別な場合以外ではほとんど飲まれないそうです。

 いまは、お飲みになるのはもっぱら焼酎なのだと伺っています」

醸造酒である日本酒が糖質を含む一方、蒸留酒である焼酎は糖質ゼロ。

ダイエット中に飲んでも太りづらいとされている。

こうした健康管理の陰には、雅子さまのご助言があると語るのは宮内庁関係者。

「ご一家のお食事は、雅子さまと“料理番”である大膳が協議しながら決めています。

 雅子さまは愛子さまを懐妊された際、専門書を隅々まで熟読され、主治医を驚かせたこともあったといいます。

 栄養管理についても、熱心に勉強されていると思います」

天皇陛下は’07年6月、十二指腸にできた良性のポリープを除去するために手術を受けられている。

その際、雅子さまは入院された陛下を毎日お見舞いされた。

一方、上皇ご夫妻はこのポリープを深く憂慮。

天皇陛下が長らく検査を受けられていなかったことに強い不安を抱かれたと、上皇ご夫妻は当時の宮内庁長官を通じて異例の“苦言”を呈された。

「上皇陛下は美智子さまのお支えもあり、85歳まで天皇としてのお務めを続けられました。

 健康を維持することも天皇の義務であると伝えるため、あえて天皇陛下に厳しい姿勢を見せられたのでしょう。

 それ以来、両陛下は定期健診を欠かさず、雅子さまもご家族の健康管理に、いっそう責任感を持って取り組まれているようです。

 日本酒を焼酎に切り替えるという“糖質制限”のアドバイスも、雅子さまが提案されたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

雅子さまの“愛の懇願”が、天皇陛下の食生活を変えた。

 

歌会始の儀

 

 
新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿「松の間」で催された。
令和となって初めてのお題は「望」。
天皇皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌のほか、1万5324首の応募作から選ばれた10人の入選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)らの歌が古式にのっとった節回しで披露された。
代替わり後初めての開催となった今回は、中央に両陛下がお座りになり、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が両側に着席した。
皇后さまが歌会始の儀にご出席なされるのは、療養が始まった2003年以来17年ぶり。
19年に退位された上皇ご夫妻は出席されず、歌の披講もなかった。
天皇陛下は、訪問先の学校や施設で出会った子どもたちの声が響き渡る情景を歌にし、将来が明るくあってほしいと願う気持ちを詠まれた。
皇后さまは自然災害の被災地を訪れた際に、各地で若者たちが献身的にボランティア活動を行い、人々に復興の希望と勇気を与えていることを頼もしく感じたとの思いを詠まれた。
両陛下は即位後の2019年6月、東京都内の保育園に足をお運びになり、子どもたちと交流された。
12月には台風19号の被災地を見舞うため、宮城県丸森町と福島県本宮市をご訪問。
被災者や復興に尽力した人々に励ましの言葉を掛けて回られた。
こうした活動を通じ、両陛下ともに未来を担う世代への希望を歌に込められた。
儀式は午前10時半から始まり、入選者、選者、召人、三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮さま、皇后さま、陛下の順に披露された。
 
天皇皇后両陛下、皇族方、召人、選者、入選者の歌は次の通り。
 
天皇陛下

学舎(まなびや)に ひびかふ子らの 弾む声 さやけくあれと ひたすら望む

 
皇后陛下

災ひより 立ち上がらむと する人に 若きらの力 希望もたらす

 
秋篠宮さま

祖父宮(おほぢみや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす

秋篠宮妃紀子さま

高台に移れる校舎のきざはしに子らの咲かせし向日葵(ひまはり)望む

秋篠宮家長女眞子さま

望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな

秋篠宮家次女佳子さま

六年間歩きつづけし通学路三笠山(みかさやま)より望みてたどる

常陸宮妃華子さま

ご即位の儀式に望みいにしへの装ひまとひ背(せ)なを正(ただ)せり

三笠宮家寛仁親王妃信子さま

雪襞(ゆきひだ)をさやかに望む富士愛(め)でて平和な御代のはじまりにあふ

三笠宮家彬子さま

言の葉のたゆたふ湖の水際から漕ぎ出ださむと望月の舟

高円宮妃久子さま

サッカーに関はりたれば五輪への出場国をひた待ち望む

高円宮家長女承子さま

初めての展望台にはしやぐ子の父母とつなぎあふ小さな両手

▽召人(敬称略)
栗木京子

観覧車ゆふべの空をめぐりをりこれからかなふ望み灯して

▽選者(敬称略)
篠弘

書き上げし稿(かう)祈りてはファックスす望外なことを近頃はじむ

三枝昂之

丘陵に街に暮らしの歩をとめて人は仰げり望月立てり

永田和宏

なだらかな比叡の肩を照らしつつ昇る幾望(きばう)の、はた既望(きばう)の月

今野寿美

港から汽笛とどけば手にとれる望遠鏡なり蝶々夫人も

内藤明

新しき靴履きて立つ街角にわが望郷の方位をさがす

▽入選者(敬称略)
三重県 森紀子

茶刈機のエンジン音は響(ひび)かひて彼方に望む春の伊勢湾

埼玉県 若山巌

百アールの田圃アートの出来映えを眺望するに櫓を組みぬ

東京都 保立牧子

創薬の望みを託す天空の「きぼう」の軌道に国境はなき

福岡県 石井信男

息を止め望遠鏡で本物の土星の環を見た夏の校庭

福岡県 粟屋融子

ランドセルは海渡りゆくアフガンの子らの希望を抱き留むるため

長崎県 柴山与志朗

望(もち)の日は漁師の父が家にゐて家族四人で夕餉を囲む

山形県 村上秀夫

それぞれに月傾けて子どもらは墨くろぐろと「望」の字を書く

神奈川県 森教子

今よりも人々の文字うつくしき平和を望む戦時下の日記

大阪府 土田真弓

眺望はどうだ晩夏に鳴く蝉を咥へて高く高く飛ぶ鳥

新潟県 篠田朱里

助手席で進路希望を話す時母は静かにラジオを消した

 

2021年のお題は「
宮内庁は2021年の歌会始のお題を「実」とし、応募要領を発表した。
応募する歌は未発表の自作とし、1人1首。歌に「実」の文字が詠み込まれていればよく、「実験」「果実」のような熟語や、「実る」といった訓読でもよい。
半紙を横長に使い、右半分にお題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を毛筆で縦書きする。
海外からの応募は用紙、筆記具とも自由(用紙サイズは縦24センチ、横33センチ)。
病気や障害で自筆できない場合は代筆やパソコンによる印字でもよく、別紙に理由と代筆者の住所、氏名を添える。点字も受け付ける。
9月30日の消印まで有効。
宛先は「〒100-8111 宮内庁」。
封筒に「詠進歌」と書く。

 

愛子さま18歳

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 愛子さまは偏差値72の超優等生だそうです
   秋篠宮家がトラブル続きなので
 愛子天皇待望論が高まっています  (^_^;)
 
天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは12月1日、18歳の誕生日を迎えられた。
4月に学習院女子高等科3年生となり、勉学に励む一方、高校生活最後となる運動会や文化祭などの行事で活躍するなど、充実した日々を過ごされている。
天皇陛下のご即位に伴う一連の関連儀式も逐次テレビなどで見守り、関心を持たれているという。
11月上旬に開催された文化祭では、3年生有志のグループでダンス公演にご出場。
洋楽やJ-POPなどの音楽に合わせて軽快なダンスを披露したほか、美化委員としてごみの分別作業にも取り組まれた。
一連の即位関連儀式では、早朝から深夜に及ぶ両陛下のご発着を赤坂御所で欠かさず見送り、出迎えられた。
10、11月に行われた「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿(せいでん)の儀」や「祝賀御列(おんれつ)の儀」では、皇室の伝統や国民の祝福の様子などを伝える報道を熱心にご覧に。
8月15日の終戦の日には、両陛下が初めて臨席された全国戦没者追悼式の様子をテレビで見ながら黙とうされた。
両陛下とともに訪れた静養先の栃木県那須町では8月、駅頭で小学生や高校生に積極的に声をかけられる場面も。
陛下と長年親交のある英国のアン王女が10月、赤坂御所を訪れた際に同席するなど、海外王族と英語で交流する機会も持たれた。
 

雅子さまと黒田清子さん

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 世間的に言えば「嫁と小姑」。清子さんは生まれてからずっと皇室育ち、雅子さまはアメリカ育ちで、バリバリの元キャリアウーマン。ほとんど水と油。皇室の方々だって人間ですから、いろいろあったのかも  (^_^;)
 
11月22、23日と、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えたことを伊勢神宮に奉告する「親謁の儀」に臨まれた。
この重要な皇室の行事で、両陛下とともに大役を務めたのが、天皇陛下の妹で伊勢神宮祭主の黒田清子さんだった。
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伊勢神宮を長年取材してきた文筆家の千種清美さんは、親謁の儀に臨んだ清子さんの様子についてこう語る。

「祭主さまは両陛下より早く伊勢にいらっしゃっていました。両陛下が神宮に到着された21日の夜は、両陛下がお泊まりになった内宮の行在所で大宮司、小宮司とともにお迎えになりました。内宮ご参拝後には、両陛下と食事をされたかもしれません」

前出の皇室担当記者は、21日の夜に注目する。

「ご一緒にひとときを過ごされた雅子さまと清子さんにとっては、いわば“和解の夜”になったのではないでしょうか。雅子さまが療養に入られる’03年12月以前から、関係者の間ではお二人の“不和”が囁かれていましたから」

皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんもこう話す。

「天皇家に入った“嫁”である雅子さまには、公務でご多忙だった美智子さまに代わり、“小姑”である清子さんが折に触れ、皇室のしきたりや所作などをアドバイスしていたそうです。つまり雅子さまにとって清子さんは恩人ともいえるのですが、あるときを境に円滑なコミュニケーションがなくなってしまったと聞きました」

陛下と雅子さまのご結婚直前だった’93年4月、清子さんは24歳の誕生日に際しての文書回答で、雅子さまについてこう記していた。

《まだゆっくりとお話をする機会はございませんが、自分をしっかりと持っていらっしゃり、ユーモアのある楽しい方のように拝見しております》

義理の姉がやってくることを楽しみにする気持ちが伝わってくる。
ところが雅子さまが療養に入られて以降2005年頃から、雅子さまと清子さんの不和を象徴するような“事件”が次々と報道された。

「山階鳥類研究所に勤務し、バードバンダー(鳥類標識調査員)の資格も持つ清子さんは、研究のために赤坂御用地でカワセミの調査をしていました。早朝からの調査なので、何度か天皇陛下と雅子さまが住む赤坂東宮御所(当時)に泊まらせてもらっていたそうですが、あるときから宿泊の許可が下りなくなったという話を耳にしたことがあります」(前出・渡邉さん)

『週刊文春』(’05年12月29日号)によると、その後、清子さんは秋篠宮邸への宿泊を希望し、「いつでもどうぞ」と歓迎してくれた紀子さまと接近していったという。
また、翌年の『週刊ポスト』(’06年3月3日号)にはこんな記事が載った。
事件が起こったのは両陛下のご結婚3年目の’96年だという。
美智子さまと清子さんが御所でお菓子作りをされたとき、紀子さまは「ご一緒に」と呼ばれたのだが、雅子さまにはお声がかからなかったというのだ。

「チーズケーキ作りがお得意の雅子さまをお呼びにならないのは、いかにも不自然という声も上がりました」(宮内庁関係者)

20年以上も前から、雅子さまと清子さんの間には“緊張関係”があったのかもしれない。
清子さんが伊勢神宮の祭主に就任したのは’17年のこと。“退位特例法”が国会で可決された直後のことだった。

「当時は、次の皇后となられる雅子さまがご公務、特に祭祀へのご出席が難しく、御代替わりへの不安が大きかったのです。伊勢神宮祭主となれば、少なくとも年間30日は伊勢に滞在する必要があり、夫の黒田さんにも負担を強いることになります。それでも清子さんが引き受けたのは、皇室の外から新天皇を支えてほしいという美智子さまの強い願いがあったからなのです」(皇室ジャーナリスト)

一方、今年5月に皇后となられた雅子さまは、5月8日の「期日奉告の儀」、10月22日の「即位礼正殿の儀」、11月14日からの「大嘗宮の儀」、そして、今回の「親謁の儀」と、陛下の即位に関連した大きな宮中行事すべてに出席されている。

「御代替わり後、雅子さまは素晴らしい活躍をされています。目を見張るほどのご回復ぶりといっても過言ではないでしょう。皇室への思いの強さは、雅子さまも清子さんも同じです。宮中祭祀にも真摯に取り組む雅子さまのお姿が、皇室の祭祀を担う清子さんの心を動かしたのでしょう。長年のわだかまりは氷解して、お二人の間に“新しい絆”が生まれたのではないでしょうか」(皇室担当記者)

 

大饗の儀

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 日本人に生まれて良かった!
    令和の御代が
 ステキな時代になりますように  (^_^;)
 
天皇陛下が大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」(だいじょうきゅうのぎ)(14、15日)への参列者を招いてもてなされる饗宴(きょうえん)「大饗の儀」(だいきょうのぎ)が16日、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で行われた。
安倍晋三首相や三権の長ら約290人が参加。
皇后さまと秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も臨席された。
陛下は正午ごろ、三種の神器のうち剣と璽(勾玉)をささげ持った侍従らと共に会場に入り

「大嘗宮の儀を終え、皆さんをお招きし、

 大饗を催すことを誠にうれしく思います」

とあいさつをされた。
豊明殿では天皇、皇后両陛下のお席の後ろの壁に、大正・昭和・平成の大饗の儀でも飾られた「錦軟障」(にしきのぜじょう)と呼ばれる長さ約9・3メートルの墨絵を配置。
左右の壁には、大嘗宮の儀に米を納めた悠紀(ゆき)地方(栃木県)の那須連山や男体山、主基(すき)地方(京都府)の嵐山や天橋立などの四季の風景と、関連する和歌が描かれた屏風(びょうぶ)が立てられた。
饗宴中は両地方の風俗舞も演じられた。
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参列者の献立は鯛のお造りと尾頭付きなど。
朱塗りの「御台盤」(おだいばん)と呼ばれる両陛下の御膳には、参列者の献立に加えて蒸しアワビなどが並んだ。
大饗の儀は18日も行われる。