2月の末、お天気が良かったので
芝公園の周辺をお散歩していたら
こんな案内板(↓)を見つけました
もうすぐ桜が咲きますね
(^_^;)
▼建設中の東京タワー 1958年ころ
2月の末、お天気が良かったので
芝公園の周辺をお散歩していたら
こんな案内板(↓)を見つけました
もうすぐ桜が咲きますね
(^_^;)
▼建設中の東京タワー 1958年ころ
この本を初めて読んだのは20年以上も前だが、読み始めたとたんにグイグイ引きづりこまれて、正続あわせて800ページ以上、ほぼ一昼夜で読み切った記憶がある(余りにも面白くて面白くて、興奮して夜も眠れなかった)
冒頭に
「フロイド理論は
何よりもまず
社会心理学である」
とある通り、個人の深層心理がいかに社会現象として現出するかを主に扱っている(著者は、フロイトではなくフロイドと表記している)
つまり、毎日のニュースに現れるような社会現象や歴史上の事件を、フロイト理論の立場から、バッサバッサと切りまくる、その分析の切れの鋭さが実に痛快なのだ
本当の発見とは、まったく未知の存在を発見することではなく、今まで何気なく見ていた存在(世界)がまったく違って見えるような、そんな斬新な視点の発見であると言われるが、まさにそれを体験できる
しかもそれは、どうでもいいような世界の話ではなく、自分自身の一回限りのかけがえのない人生の生き方に深く関わって来るのだから切実感がある
著者は自分の立場を「唯幻論」と呼んでいるが、
「この世のすべては、幻(まぼろし)である」
という考え方は、日本人の考え方や生き方に合っているようにも思えるし
「人間は、本能が壊れた動物である」
という主張は、人の心の闇を解析する上で実に示唆に富んでいる
20世紀の天才による三大理論というと、アインシュタインの相対性理論、マルクスの共産主義理論、そしてフロイトの精神分析理論というのが定番とされている
この3人がすべてユダヤ人というところに、ユダヤ人のすごさが感じられる
フロイト理論は創始から100年以上が経過し、新しい学説による様々な批判も受けているが、人の心の闇を解析するための最も基盤となる理論としての重みは変わらないように思える
フロイト理論をより高い視点から批判したと主張する同時代の学者に対して、フロイトは
「巨人の肩の上に乗った小びと」
と手厳しく反論している
ピュアなフロイト理論なら、フロイト自身の著作に当たるのが良いのかもしれないが、フロイト理論を楽しく学ぶなら、本書は超オススメです!
(^_^;)
▲ギリシア神話の盲目の巨人オーリーオーンと
その肩の上に乗る小びとケーダリオーン (プッサン、1658年)
このところ書評(読書感想文)が少ないのは、関心が一時的に別のことに移ってサボっているからです
読書そのものは続けていますし、今までも読んだ本のすべてに書評を書いていた訳ではありません
また気が向いたら、バリバリ書評も書きますね
(^_^;)
相対性理論は、時間が伸び縮みするなど、それまでの物理学を根底からひっくり返すような斬新な理論でした
公表された当時、これを理解出来る人は世界で数人しかいないと言われていたそうです
もちろん今では理学部の大学生でも、常識として理解しています
(^_^;)
1931年に二人の天才が交わした言葉:
アインシュタイン
「あなたの作品の最も素晴らしいところは、その普遍性ですよ。
一言も言葉を発しなくても、
世界中の人々に理解されているなんてね」
チャップリン
「その通りです。しかしあなたのほうがはるかに凄い。
あなたの理論を誰ひとり理解していなくとも、
世界で人気があるのですから」
▲映画「独裁者」より
▲ヒトラーの演説
チャップリンとヒトラーは、わずか4日違いで同年齢です(アインシュタインは10歳上)
ヒトラーも時代が生んだ、一種の天才かもしれません
いま、日本の近くの大陸には、ヒトラーより危険な独裁者がいます
((((;゚д゚))))
「ウルトラマンさ~ん
電話ですよ~」
「ジュワッキ!」
(^_^;)
男の子なら、誰もがウルトラ怪獣を好きになったことがありますよね?
好きな怪獣は人によってさまざまですが、やはりウルトラマンたちを苦しめた強い怪獣の人気は高いものです。
昭和世代で強い怪獣と言えば、必ず挙がる名前はやはり「ゼットン」。
ウルトラマンに完全勝利した怪獣だけに、誰もが「強敵」「最強」と認めていました。
〇〇怪獣でなく「宇宙恐竜」というセンスのいい別称。
目や口が記号化しているポーカーフェイスな顔。
ウルトラマンの銀に対して黒いボディ。
そして「1兆度の火炎」というオーバースペックなパワー。
だいたいの男の子はゼットンで「兆」という単位を知りました(笑)。
子どものころ、アメリカでは大学生が一人一台クルマを持つのが当たり前で、クルマが無いと彼女とデートも出来ないというテレビ番組を見て、アメリカって豊かな国だなぁと感じた記憶があります
ところが自分が大学生になってみると、日本もまったく同じ状況になっていました
(^_^;)
若者のクルマ離れが指摘されてから久しい。
日本の場合、国民の平均所得が著しく減少しており、特に賃金の低い若者にとっては、買いたくても買えないというのが現実である。
だが、若い世代が以前ほどクルマに対して興味を示さないのは各国共通の現象でもある。
これには社会のIT化というイノベーションが密接に関係しており、逆にいえば、この動きを逆手に取ることで、若者を取り戻すことができる。
そのためには、自動車業界自身が抜本的に変わらなければならない。
ソニー損害保険が昨年12月に行った調査によると、2021年の新成人の中で
「クルマに興味がある」36.2%、
「興味がない」41.5%
だった。
「興味がない」と答える若者の方が多く、クルマ離れを裏付ける結果となった。
だが冒頭でも説明したように、日本の場合には買いたくても買えないという事情がある。
▲森喜朗と池江璃花子 まるで銀座のクラブ
83歳ですから、もうたぶんボケてますね
本人には何の悪気も差別意識も無さそう
幼児のように天真爛漫に放言してるだけ
この人は政策策定能力はゼロに近いが
元ラグビー選手で、後輩への面倒見がいい
多くの後輩政治家が「森さんには世話になった」と義理を感じている
だから面と向かって「辞めろ!」とは、なかなか言えない空気がある
真珠湾攻撃の直前に「この戦争は無茶だ!」と誰も言えなくなった空気に似ている(そして310万人が死んだ)
とにかく調整役が重要なプロジェクトでは便利な存在なので
「神輿(みこし)は軽くてパーがいい」
という訳で、かつぎ上げられて東京五輪のトップになった
海外にはあまりいない、人間関係至上主義の日本独特の政治家
正確には政治家と言うより「人間関係調整屋」とでも呼ぶべきか
(^_^;)
* * * * * * * * * *
東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長・森喜朗が2/4、都内で取材に応じ、女性蔑視発言について「おわびしたい」と陳謝し、発言を撤回した。辞任は否定した。
森喜朗は2/3の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
などと放言。
女性参画の時流に逆行する舌禍で国内外からバッシングされていた。
といっても、森会長は〝失言王〟で知られ、特に女性蔑視は強いとされる。
過去には2014年2月、ソチ五輪のフィギュアスケート女子ショートプログラム(SP)で浅田真央さん(→)が転倒して16位発進となったことに
「大事な時には必ず転ぶ」
とぶちまけている。
ほかにも、競泳女子の池江璃花子(20=ルネサンス)を強引に同席させて周囲をドン引きさせたことがあった。
2019年1月、都内で電通の新年会があった。
政財界やスポーツ界、芸能界などから4000人ほどの関係者が出席。
五輪を通して電通と太いパイプがある森喜朗、そして当時は白血病を公表する直前の池江の姿があった。
「森会長は電通の人と懇談していましたが、
池江選手の姿を見かけるや『ここに座って!』と声をかけ、
自分の左隣に座らせたんです。
しかも結構、強引に(苦笑)」(出席者の一人)
池江は当時、東京五輪の金メダル大本命と評されたトップスイマーだったが、組織委のドン森喜朗から〝指名〟されれば断りきれないだろう。
出席者は一様に
「会長、ここはキャバクラじゃありませんよ」
と本人に聞かれないよう陰で笑っていたという。
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、1/17で丸26年を迎えた。
発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事があった。
新型コロナウイルス禍の中でも「この日だけは」と多くの人が手を合わせ、震災で亡くした家族や友人らを思い起こした。
前日から紙製の灯籠でかたどられた「がんばろう」の文字が点灯され、分散来場が呼び掛けられた東遊園地。
その中に、震災で母親の藤井あい子さん=当時(83)=を亡くした神戸市東灘区の寺内和子さん(72)の姿があった。
あい子さんは全壊した自宅の下敷きになった。
震災の日が近づくと当時がよみがえる。
自身もけがをしながら実家に駆け付けたこと、がれきから出てきた足が温かかったこと、掘り出されたあい子さんは「あ、あ」と懸命に何かを伝えようとしたこと、自らくぎを打ち棺おけを作ったこと…。
和子さんは「お母さんの代わりに誰かのためになれば、自分が救われるかもしれない」と介護ヘルパーの仕事を続けている。
新型コロナの影響で離職者が増え、夜から翌朝までの勤務にも入るようになったが、「この仕事は辞めたくない」。
* * * * * * * * * *
東日本大震災では東京でも、住んでいるマンションが崩れるかと思うほど揺れましたが、阪神・淡路大震災では、揺れた瞬間はほとんど気が付きませんでした
でもテレビで刻々と入って来るニュースは神戸一帯が燃えているような感じで、死者数も当日は数百人くらいでしたが、毎日千人くらいずつ増えていく感じで、非常に恐ろしかった
たまたま地震の翌日に大阪で結婚式に招かれていて、問い合わせたら決行するとのこと
飛行機を調べたら飛んでいたので、伊丹空港経由で大阪へ行き、結婚式の翌日、西宮から神戸にかけて10時間くらい歩きました
最も印象に残ったのは、木造建築が地震に弱いということ
木造の家が跡形もなくグシャグシャになって燃えているすぐ隣で、鉄筋コンクリートの家が、外形はほぼ無傷という場面をたくさん見ました
日本に住んでいる限り、木造の家には住みたくないなぁ、と今でも思っています
((((;゚д゚))))
日本のイスラム教徒の数は他国と比べると少ないながらも、2010年には11万人だったのが、2019年末には23万人と、過去10年間で2倍以上になっています。
なおそのうち半数は、日本人の改宗者だったそうです。
また、日本国内には110以上のモスクが存在しており、この数も、過去20年ほどで約5倍になっているとの事。
その上で、ムスリムが日本で暮らす上での唯一の問題として、イスラム教では禁止されている火葬の問題に言及。
その点以外では日本はムスリムにとって暮らしやすい国であり、ムスリム移民は日本の治安の良さ、清潔さ、そして機能性を高く評価していると指摘しています。
日本の暮らしについて、水産業に携わるインドネシア出身の男性は、一言
「アンゼン(安全)、アンゼン」
と繰り返し、ビジネスを勉強しに来たウズベキスタン人男性は、
「日本人はとても親切だ」
とした上で、
「イスラム教について否定的な固定観念は沢山ありますが、
直接の体験として、ほとんどの日本人からそれを感じた事はないです。
彼らはイスラム教に対してオープンなのです。
欧米に行くよりも遥かに良いですね」
と回答した事が紹介されています。
▲映画「日本のいちばん長い日」(2015年版)予告編
今年は昭和史を読んでみようかなと思っていたのですが、その矢先に重要な語り部を失った気分です
呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)の名誉館長でした
(T_T)
「日本のいちばん長い日」など、昭和史に関するノンフィクション作品を多く手がけた、作家の半藤一利(はんどう・かずとし)氏(→)が亡くなったことが1/12分かった。
90歳だった。昭和5年、東京生まれ。
昭和28年、東大文学部を卒業し、文芸春秋新社に入社。
編集者として「連合艦隊の最後」の著者、伊藤正徳氏を担当し資料集めや取材をする中で、昭和史への造詣を深める。
昭和40年には大宅壮一編として、玉音放送までの一日を描いた「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」を発表。
平成7年に「決定版」として、自身の名義で改訂された。
文芸春秋では「文芸春秋」「週刊文春」編集長や専務などを歴任。
司馬遼太郎氏との交流も長かった。
平成5年「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞、平成10年に「ノモンハンの夏」で山本七平賞、平成27年に菊池寛賞を受賞。
妻でエッセイストの末利子さんは夏目漱石の孫。
▲映画「日本のいちばん長い日」(1967年版)予告編
コカ・コーラって
健康に良かったのかぁ~
(^_^;)
ギネス世界記録で世界最高齢に認定されている福岡市の田中カ子さんは、明治36年1月2日生まれで、2日、118歳になりました。
現在、田中さんは福岡市内の高齢者福祉施設で暮らしています。
施設によりますと、職員が2日、「誕生日おめでとうございます」と声をかけると、田中さんは手をたたいて喜んでいたということです。
新型コロナウイルスの影響で家族とはほとんど会えていないということですが、元気な様子で、1日3食、欠かさず食べ、体操したりして過ごしているということです。
田中さんはチョコレートとコカ・コーラが大好物で、かけ算や割り算などの計算問題を解いたりして楽しんでいて、「120歳まで元気に暮らす」が目標だということです。
田中さんはおととし3月に「存命中の世界最高齢」としてギネス世界記録に認定されているほか、現在確認できる国内の歴代最高齢です。
▼バブル時代のコカ・コーラのCM