自宅の玄関やポストに「〇」や「×」のようなマーキングサインは残されていませんか?
実は、それらのマーキングによって、あなたの生活情報が空き巣や訪問販売員に駄々洩れになっている可能性があります。
自宅の玄関やポストに「〇」や「×」のようなマーキングサインは残されていませんか?
実は、それらのマーキングによって、あなたの生活情報が空き巣や訪問販売員に駄々洩れになっている可能性があります。
このような不安は
前から言われてました
私はジェネリックではなく
正規品を利用しています
(^_^;)
医師のおおたわ史絵氏(57)が12日、ブログでジェネリック(後発医薬品)の死亡事故に言及した。
皮膚治療薬(経口薬)も睡眠導入剤の成分が混入し、この薬を服用していた患者1人が死亡した。
薬を製造した製薬会社が11日発表した。
皮膚治療薬に向精神薬に使用されるベンゾジアゼピンが混入されていた問題についておおたわ氏は
「水虫の薬でまさかベンゾジアゼピンが混入しているとは誰も予想しないです」
と驚きを隠せない様子だ。
その上で
「患者さんが命を落とすとは…ジェネリックと言う選択肢がこの国に現れてから ずっと不安でした。多数の工場やメーカーが参入するほど、監視の目が行き届かなくなるからです。『全く同じ成分ですよ』と思わせた宣伝文句にも大きな問題があったと思う」
とジェネリックの問題点を指摘した。
ジェネリックは先発医薬品と全く同じものだと認識している人も多いが
「私は患者さんに聞かれたときは必ず
『有効成分は同じ配合ですが、材料も工場も
それぞれ異なるところで作られています。
だから厳密には効き目や副作用には違いがあると思います。
いいものもあれば、そうでない面もあるかもしれません』
と説明しています」
と必ずしも同じものではないことを解説。
価格が安いのも事実だが
「お金を払う患者さんにとっては値段は重要ですから、
ジェネリックを選ぶ自由はあります。
ただこの自由が問題です」
という。
最大の問題は
「1つの薬に対してジェネリックは5つも10も存在することがあります。
そのどれを選ぶか?
選択権は患者さんにはありません。
実は我々医者にもありません。
選択権を持っているのは薬局です。
どこのメーカーのジェネリックを採用するかは薬局の裁量にかかっています」
という点だという。
続けて
「薬剤師さん達もそれぞれ情報を吟味しながらジェネリックの採用に踏み切っていることと思いますが、今回のような工場側の不正があると薬局側も大変困惑するでしょう」
と今回の問題の影響を懸念している
その上で
「みんな被害者です。ジェネリックと言うお財布に優しい自由。聞こえはいいけれど、医者も患者も選択権を持っていない それが本当に自由なんだろうか? 我々医師はみんな いつかこんな事故、事件が起きると不安に思っていました。これ以上、不幸が続きませんように」
と結んでいる。
* * * * * * * * * *
福井県あわら市の製薬会社「小林化工」が製造した爪水虫などのジェネリック治療薬に睡眠導入剤の成分が誤って混入し、服用した患者1人が死亡した問題。
同社の小林広幸社長は12日、報道陣の取材に応じ「重大な過失を犯したことを深くおわび申し上げる。責任を痛感している。会社全体で償っていく」と謝罪した。
いま芸能ニュースで話題の人ですね
イジメが有ったとか無いとかの事実関係は、よく知りません
でも何か「心の闇(やみ)」を感じます
上の動画はちょっと極端ですけど、「無理して明るく振舞ってるなぁ」という印象は以前からありました
妹の小林麻央の看病で、たびたびマスコミに登場していた頃から「何か不自然なもの」を感じた
小林麻央と市川海老蔵の子どもたちになつかれていて、麻耶も海老蔵が大好きと広言していたので、いずれは海老蔵の後添えになるのかなと思った人も多かったはず
でも何となく、海老蔵は麻耶に距離を置いていたような印象を受けた
きっと海老蔵も麻耶に、「何か不自然なもの」を感じていたんじゃないのかな?
性差心理学で、女性は男性よりも「共感力」が高いとされているようです
これは子育てや看病など、弱い者の世話をする時には長所になります
でも共感力は同時に、相手からの影響の受けやすさにも通じるので、ある特定の人物を信頼すると、全面的にその人の影響を受けてしまって、いわゆる「洗脳」という状態になり易い
もちろん男性でも、洗脳されやすい人っていますけどね
((((;゚д゚))))
クルマで高速を走っていると
目の前の道路の継ぎ目に
急に陥没などで段差が出来たら!
などと考えることがあります
((((;゚д゚))))
11/14の20時ごろ、山口県上関町の長島と本州側とを結ぶ唯一の陸路の上関大橋で、路面にできた段差に乗用車が衝突したと110番があった。
上関大橋は通行止めとなり、復旧の見通しは立っていない。
山口県上関町は対策本部を設け、住民が往来できるよう臨時の船を出している。
上関大橋を管理する山口県によると、本州側の道路と橋桁の連結部分で、橋桁の路面が何らかの原因で上下に20センチずれた。
上関大橋は全長約220メートルで1969年に完成。
山口県の調査では、橋脚や橋桁に船などが衝突した形跡はなかった。
上関大橋を通る水道管に影響はないという。
11/14深夜までに県は片側1車線の段差をアスファルトで舗装した。
応急的な修復で、通行が可能かどうか検討している。
柳井署によると、衝突した乗用車は前部が破損し、乗っていた男女2人が搬送されたが、軽傷とみられる。
町によると、長島には約770世帯、約1350人が住んでいる。
本が売れなくなった
と言われて久しい昨今
久しぶりの販売チャンスに
出版社も書店も色めき立ってる?
(^_^;)
作家の三島由紀夫の死から50年、大手出版社から関連書の出版が相次いでいる
最も強烈なタイトルは宝島社の『三島由紀夫事件 検視写真が語る「自決」の真実 』
中央公論新社『彼女たちの三島由紀夫』には岸田今日子氏らとの全集未収録対談も
▲鉄筋が入っていない手抜き工事が判明した日野市の緑橋
まったくトンデモない話ですね
橋が崩れたら死人が出るかもしれません
殺人未遂ですぐに逮捕してください
((((;゚д゚))))
中央自動車道で進められている耐震補強工事を巡り、東京・日野市にある緑橋を支える橋台に鉄筋が入っていなかったことが、発注者の中日本高速道路株式会社(NEXCO中日本)の調査で判明した。
10/29発売の「週刊文春」は、手抜き工事を、同工事に携わった二次下請け、吉岡建築設計(東京・三鷹市)の会長、吉岡史人を実名告発によって詳報。
それを受け、10/30の参院本会議でも国交相の赤羽一嘉が
「中日本(高速道路)の調査結果を踏まえ、適切に対応する」
と述べていた。
吉岡史人への告発を受け、10/28、NEXCO中日本と元請けの大島産業(福岡・宗像市)の両社立ち合いのもと、非破壊検査が実施された。
これについてNEXCO中日本の本社幹部はこう証言する。
「構造物の有害なきずを、対象物を破壊することなく検出するのが非破壊検査です。
超音波を使ったり、放射線を使ったりと様々な方法がありますが、
今回は電磁波を用いて行われました。
電磁波を当てた時の波形で、内部に鉄筋が入っているか否かが分かるのですが、
この検査の結果、緑橋の橋台には鉄筋が入っていないことが明確になったのです。
大島産業側も、その凶悪な犯行事実を認めています」
検査結果については今週中にも発表される見通しだ。
現在も緑橋は通常通り使用されている。
鉄筋が入っていない事実が判明した中、一刻も早い適切な対応が求められる。
大島産業を巡っては、従業員に高圧洗浄機を噴射するなどの悪質なパワハラで賠償命令を受けたほか、残業代未払い、工事代未払いなどのトラブルが相次いでいる。
なぜ、このようないわくつきのブラック企業が、工事を継続してこられたのか。
また、大島産業が手掛けた他の耐震補強工事でも同じような疑惑がないのか、注目される。
現在発売中の「週刊文春」では、大島産業の作業現場での様子や、過去に起こした悪質なパワハラ問題、さらに大島産業をかばい、トラブルの際は自ら国交省の担当者やNEXCOの担当者を呼び出して話をするなど、大島産業の庇護者として動いた農水副大臣、宮内秀樹への直撃取材など、5ページにわたって詳報している。
▲手抜き工事で殺人未遂の片棒をかついだ農水副大臣
宮内秀樹 あの中国べったりの悪名高い二階派
金閣寺放火事件を題材にした、三島由紀夫の代表作の一つ
放火犯人は吃音(どもり)に悩む金閣寺の見習僧で、彼の幼いころからの自伝調の内面告白が、三島独特の美文で淡々と語られている
見習僧の「建物フェチ」とも言えそうな、ファナティックな金閣に対する愛が全体の基調を成しているので、犯行動機に感情移入するのが難しい
ジョンレノンの熱烈なファンが、レノンを銃殺した事件を思い出す
彼はやがて浄土真宗の大谷大学に進学し、そこで足の不自由な男と出会い、言葉の不自由な自分との共通性を見出して接近し、親しく付き合うようになる
その親友が語る独特の人生哲学や女性観が面白い
時代背景が第二次大戦の前後で、その時代の空襲の無かった京都の雰囲気が伝わって来る
(^_^;)
▼消失前の金閣寺 金箔が剥げて枯れた風情だった
▼放火による消失直後の金閣寺
▼再建された現在の金閣寺 創建当時の姿に戻した
天才が同時代人から評価されるのは
極めてまれなことであって
無視されるくらいならマシな方で
火あぶりになったりしています
((((;゚д゚))))
日本を代表する作家、三島由紀夫が衝撃的な自刃をとげて11/25で50年になる。
三島文学は小説から評論、随筆と幅広く、テーマも教育問題、育児論、日本に対する思い…と範囲が広い。
改めて読み直すと、三島がいかに的確に未来を見通す「予言者」であったかが分かる。
例えば、「性」について。
三島は『忘我』(1970年8月)で
「未来の映画は、すべてブルー・フィルム(現在のアダルト映像)になるであらう。
公認されたブルー・フィルムの最上の媒体は、ヴィデオ・カセットになるであらう。
なぜならそれは、映像の性的独占を可能にするからだ」
と現代の性風俗を予言した。
(ちなみに、家庭用ヴィデオテープレコーダーが開発されたのが1975年ころなので、
この当時の個人利用目的で、ヴィデオ・カセットなど持っている人は皆無だった)
さらに、1968年10月早稲田大学で開かれた学生相手の討論集会では、
「言論の自由というものに関する考えは、もしセックスについていうならば、
恐ろしいところまで拡がっていくのではなかというふうに考えるものであります…
もしセックスの完全な自由ということが許されるとすれば、
強姦、輪姦くらいで済むならいいが、快楽殺人というものがあって、
どうしても人を殺してしまわなければ満足しない人だっているに違いない。
そういう人もセックスの権利を自由に許したならば、
快楽殺人が横行することになって、殺人も許される。
一つの社会が殺人を許し、何を許すということになれば、
どんな政治体制でも崩壊してしまう。
そうしますと、人間はこわくてしようがない。
自分がこわくなるという時点が必ず来るわけです」
と、50年後の現在、横行している性がらみの凶悪犯罪を予想、警告している。
▲ラゾーナ川崎プラザ
川崎というとあの事件を思い出してしまいますが
実際の犯罪件数は、それほど多くないんですね
(^_^;)
5月に刊行された衝撃的タイトルのミステリー「殺人都市川崎」が、神奈川県内で話題だ。
舞台は、すさみきった底辺の街として描かれた川崎市。
出版前に不幸に見舞われた地元出身の著者の、生前の率直な“川崎いじり”がじわじわと読者の心をつかんでいるようだ。
作品では、市内の少年少女が20年前の未解決殺人事件を知る。
事件の生き残りや、犯人とされる“伝説の殺人鬼”に肉薄する中、新たな殺人が次々に起きる――。
川崎大師や複合商業施設「ラ・チッタデッラ」、ラゾーナ川崎プラザなど実在の場所が臨場感を出す。
実は、人口1000人あたりの川崎市の刑法犯認知件数は、全国20政令市で横浜市(4・7件)に次いで2番目に低い5・0件。
1位の大阪市(16・5件)の3分の1以下だ。
それでも、埼玉県をおちょくってヒットした映画「翔(と)んで埼玉」を思わせる川崎へのネガティブな扱いは容赦ない。
<川崎はハロウィンが盛んだ。地獄みたいに治安が悪いから、
自虐的に化け物の格好をしたがるんだろう>
と主人公の少年。
川崎区から武蔵小杉エリアのマンションに越したヒロインの母が、
<あんな治安の悪い街、引っ越して正解!>
<川崎のことは忘れなさい。それがあなたのためなの>
と言い聞かせる――。
著者の浦賀和宏さんは1998年に19歳でデビュー。
2001年の「彼女は存在しない」がベストセラーになるなど独自の世界観で根強いファンを持つが、今年2月、脳出血のため41歳で亡くなった。
本作は推敲(すいこう)の段階だった。
浦賀さんを20年以上担当してきた角川春樹事務所の編集者・永島賞二さん(55)は当初出版をためらったが、ファンからの「もっと読みたかった」との声を知り「遺作を届けたい」との思いに至った。
浦賀さんの母親も同意し、5月15日にハルキ文庫から刊行した。
コロナ禍で一時休業していた丸善ラゾーナ川崎店(幸区)は、営業を再開した5月29日からの1週間の文庫本売り上げで1位に。
コロナ禍で注目されたフランスの古典小説「ペスト」を2位に抑えての快挙に、同店の店員(38)は
「コロナ禍だからこそ、エンターテインメントが求められていると気付かされた。
川崎いじりも、オブラートに包んだら嫌みだが、直接的なのでジョークになる」
と語る。
有隣堂アトレ川崎店でも現在まで毎月2桁の数が売れているという。
永島さんは、浦賀さんに本作の構想を明かされた際、市民の怒りを懸念したという。
だが市内などの書店に聞くと、「面白い」「地元出身、在住だった浦賀さんの作品ならでは」と存外に好評だった。
同事務所営業部の真壁徹さんも「川崎の書店員さんたちが前のめりになってくれたのがうれしい。地元を盛り上げたいという思いを感じた」と喜ぶ。
永島さんは「どこに仕掛けが隠れているかわからないのが浦賀作品の魅力。生前、ネタバレを何より気にしていたので詳しく語れないが、ぜひ地元の人たちにも楽しんでもらいたい」と力を込める。
11/25は「あの事件」から半世紀です
日本が生んだ戦後最大の文学的天才が、現実を相手にした行動では、なぜ児戯にも似た杜撰極まる方法で命を落としたのか?
今となっては藪の中だが、おそらく三島は事件の非成功を百も承知で、あえて自らの悲劇的な死への舞台装置として、あの事件を利用したのだろう
ニーチェといい、三島といい、なぜ天才は「悲劇」にかくもこだわるのだろうか?
下の文章は、宮崎正弘氏による書評です
(^_^;)
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あれから五十年が閲したとは思えないほど、須臾の時間だった。
昨日の出来事のように、フト生前の三島、森田両氏と会話している(夢の中で)。
おりしも書店に行くと三島本が並びだした。
それもかなりの数である。
「定番」の人々の回想録という周期はおわって、三島事件から後に生まれた世代が、それぞれのアングルから三島由紀夫の世界に挑んでいる。
たまたま日本経済新聞にも「三島五十年」のシリーズが特集され、宮本亜門、宮台真司、吉田大八、熊野純彦など新世代が、それなりの三島を語っていて、視野狭窄、ピント外れ、マニアック、哲学的ブンガク論だったり、しかし、それぞれに光る一行がある。
第一周期は三島と直接付き合った人たちの交友録的評伝の列だった。
林房雄、石原慎太郎、佐伯彰一、奥野健男、坊城俊民、三谷信、渋沢龍彦らが続き、第二周期は客観的な評伝へと移る。
猪瀬直樹、村松剛、スコット・ストークス、ジョン・ネイサン、松本健一、そして編集担当だった川島勝、小島千加子。
異色は堂本正樹、野坂昭如、福島次郎、岩下尚史氏らの作品だった。
加えて文学的見地からは田中美代子、松本徹ら夥しい人が三島を語ったのだ。
最近では三島と直接付き合った自衛隊OBが退役後の感想をのべたものに加わって、杉山隆男、浜崎洋介氏らの出色の三島論もでてきた。
ともかく半世紀も経つと、あの驚天動地の三島事件をかくも冷静に見直し、くわえて三島文学に対して、一般的な、通俗な評伝を越えた、ある種冷徹な評価ができるのか、と本書を読み終えて、全体を貫く客観性にまず感心した。
著者の佐藤秀明氏は「前意味論的」と分析方法を断っているが、本書は相対的には意味論である。
さすがに三島文学館の館長を兼任する著者は、四谷の生家を探し当て、死後の評論のなかからも、珠玉を選ぶ一方で、間違いもただしていく。
たとえば、秋山駿は
「死後も成長し続ける作家」
と三島を評した名言を残したが、これはドストエフスキーの言葉がオリジナルだという。
三島が少年時代から憧れ続けたのは「悲劇的なもの」だった。
初期の作品群を一覧しても、美しき夭折への、名状しがたい憧憬に満ちている。
衝動的な渇仰が『花ざかりの森』にも『軽皇子と衣織姫』にも、底辺に流れ、漂う。
「前意味論的な欲動」と著者は言う。
処女作と遺作には静謐が共通する。
昭和四十三年の『太陽と鉄』の最終章には、「身を挺している」「悲劇的なもの」という語彙に加えて「栄光と死」を望んでいると書かれている。
村松剛は「決意を彼が公にした最初の文章だった」と『三島由紀夫の世界』で見抜いた。
しかし『悲劇的なもの』と『身を挺している』という言葉は『仮面の告白』で出てくるのだ。
佐藤は
「職業作家として出発した記念碑的な作品に書いた言葉を、二十年後に死の予感を告白する文章に織り込んだのは、意図してのことであろう」
と分析していて研究者としての慧眼が冴える。
また『憂国』はまさに悲劇的イロニーに充ち満ちた短編だが、
「作品の意匠は全く異なるが、『潮騒』の幸福感に通じている」
とする。
なるほど、そういわれてみればそうかもしれない。
気になった箇所は三島が机上の空論的に皇居突入計画を立てたという、これは生前も耳にした風説で、当時評者(宮崎)の耳にも聞こえてきたが、佐藤氏はこの顛末を文献的に振り返り、関係者の著作も紐解いている。
真相は薮の中、計画を打ち明けられた自衛隊は冗談だろうと、その場では同調するフリをしたのだろうと評者は想像する。
げんに富士学校へひとりで入隊時に対応した幹部は、三島のクーデター計画を聴いて
「私らは役人ですから」
と冷ややかに言い放ち、以後、明確に距離を置いた。
現在の自衛隊にクーデターを望むこと自体が妄想である。
それは体験入隊を通じて、三島はいやというほどに体得していた。
まして楯の会を始末に負えぬ存在と考えていた財界の桜田武や自民党は、冷笑したフシが濃厚。
そこで三島は法螺吹きの田中清玄にも自衛隊への斡旋を頼んだとか、虚実こもごもだが、三島が「愛国者」となのる軍人OBや自衛隊幹部、財界の有力者に課した「リトマス試験紙」だったのではないのか、というのが評者の見立てである。
というのも、この皇居突入計画を聴いて以後、距離を置き始めた人が多かったからだ。
ついで三島が吹聴していたのは治安出動を契機とするクーデター計画で、仄聞していた限り、だれも本気とはとっておらず、文豪ミシマの独特のアフォリズム、いや何かの芝居なのかと誤認した。
じつは評者、このあたりの経緯を村松剛氏や編集者、そして楯の会の会員ながらも三島とは距離を置いた学生達から聴いており、その本気度と計画の杜撰さとの整合性を不安に思ったものだった。
そのあとに森田必勝が学生長になって本格的に計画立案に加わり実現性のたかい、綿密な行動計画へ移っていくのである。
佐藤氏はこう言う。
「(戯曲『わが友ヒトラー』にでてくる)レームと突撃隊は、明らかに三島と楯の会を表している。楯の会など政治の権謀術数から見れば、子供騙しの集団でしかないことを作者(三島)は知っている。しかし同時に三島は、レームの単純な盲信が『神々の特質』であることも知り、この戯曲であっさりと粛正される『三度の飯よりも兵隊ごっこが好き』なレームを、戯画化したうえで憧れている」(182p)。
冷徹な、あまりに冷徹なほどの客観性で、本書は一貫している。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より
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▼三島由紀夫は、ものすごい猫好きでした (^_^;)