12【浮き世】

今年の漢字

wst1712120067-p1「今年の漢字」が「」と発表された。
京都市東山区の清水寺奥の院で、森清範貫主が特大の和紙に大筆で豪快に「北」の一字をしたためた。
「今年の漢字」は、日本漢字能力検定協会(同区)が毎年公募。
協会によると、今年は15万3千594票の応募があり、1位の「北」は7104票。
北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行などがその理由だという。
28年は「」、27年は「安」だった。
「今年の漢字」は応募数が最多の一字が毎年選ばれており、阪神大震災やオウム真理教事件があった平成7(1995)年は「震」、北朝鮮拉致被害者5人が帰国した14(2002)年は「帰」だった。
「新」が選ばれたのは、政権交代で民主党政権が誕生した21年で、消費税率が引き上げられた26年は「税」。
また、リオデジャネイロ五輪に沸いた昨年の「金」は、12年のシドニー五輪、24年のロンドン五輪に続き3回目。
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雨具戦争

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Googleは米国時間12月5日、Amazonの「Echo Show」と「Fire TV」における「YouTube」サービスの提供を停止すると述べた。
Echo Showでは5日にYouTubeの提供を停止する。
Fire TVのユーザーには、YouTubeを2018年1月1日から利用できなくなるという通知が表示されるようになるという。
Googleは9月にEcho ShowからYouTubeアプリを削除しており、その後復活させたと報じられていた。
一方のAmazonは、Google傘下のNestが提供する一部製品の販売を停止し、ユーザーにはYouTubeのウェブ版を使用するように促していた。
「双方の製品やサービスを消費者が利用できるように、Amazonと合意に至るための努力をしてきた」とGoogleの広報担当者は米CNETに述べた。
「しかしAmazonは、『Chromecast』や『Google Home』などのGoogle製品を取り扱わず、『Google Cast』ユーザーに対して『Prime Video』を視聴可能とせず、11月にはNestの一部の最新製品の販売を停止した」
「これだけ相互関係が失われてしまっていることから、YouTubeをEcho ShowとFireTV上でこれ以上提供することはできない。これらの問題を解決するための合意に早く達することができればと願っている」と、この担当者は述べた。
年末商戦が繰り広げられる中、おそらくGoogleは、同社の「Home」製品をAmazon自体のサイト上で「Echo」に対抗する製品として位置付けたいのだろう。
Googleは最近、サイズが異なるHomeのバージョンとして「Home Mini」と「Home Max」の提供を開始している。
「Echo ShowとFire TVでは現在、YouTube.comの通常のウェブ表示がされるようになっており、顧客を直接YouTubeの既存ウェブサイトに誘導している」と、Amazonの広報担当者は米ZDNetにコメントした。
「Googleは、オープンなウェブサイトへの顧客のアクセスを選択的にブロックするという残念な前例を作ろうとしている。当社は、できる限り早期にGoogleとともに本件を解消したいと考えている」
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 二大帝国の激突!
  仁義なき戦いに突入です  (^_^;)
 

「仁義ぃ欠いたならぁ、極道じゃぁないけぇのぉ!」

 

超音速旅客機

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日本航空は5日、超音速旅客機の開発を進めている米ブームテクノロジーと資本業務提携することで合意したと発表した。

日航は1千万ドル(約11億円)を出資し、将来の20機の優先発注権を確保する。出資比率は約1%。

日航によると、ブーム社は2023年に超音速機の運航開始を目標としているという。

現在の航空機の速度が時速800~900キロなのに対し、開発する超音速機は時速換算で2335キロに当たるマッハ2.2。

日航は超音速機の導入につなげ、時間を重視するビジネス客の需要を取り込みたい考えだ。

日航として導入する時期や路線は未定。

この超音速機を利用すると東京-シンガポールの所要時間は7時間程度から3時間程度に短縮される見込みという。

座席数は45~55席が予定されている。

超音速飛行機の搭乗料金は、現在の通常旅客機のビジネスクラスやファーストクラス並みになるとされており、手が届かない金額ではなさそうです。

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 ヨーロッパも 4~5時間ですね
  したいかどうかは別として 日帰りも可能  (^_^;)
 

「終活」の一つの在り方

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WS000000「元気なうちに皆さまに感謝の気持ちをお伝えしたい」--。

コマツの安崎暁元社長(80)が、がんにかかったことを公表し、お世話になった人に「感謝の会」への参加を呼び掛けた新聞広告が反響を呼んでいる。

延命治療を受けないことも明らかにし、インターネット上では人生の最期を考える「終活」の一つの在り方と受け止められている。

感謝の会は12月11日にコマツ本社近くのANAインターコンチネンタルホテル東京で開く。

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大橋巨泉の生前葬が有名ですが

 それの一種でしょうかね

延命治療に対する姿勢は 大いに参考になります  (^_^;)

 
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寅さんサミット


映画「男はつらいよ」シリーズのロケ地となった国内外の17地域が参加して第3回の「寅さんサミット」が11月25日、主人公・寅さんの故郷として知られる東京都葛飾区柴又の柴又帝釈天(題経寺)や参道周辺で開かれた。
国の文化審議会が、葛飾柴又を重要文化的景観に選定するよう文部科学相に17日に答申したこともあり、寅さんファンや観光客が詰め掛けた。
寅さんの妹さくらを演じた女優の倍賞千恵子さん(76)は特設会場で「町全体を、建物を残してくれているのは、柴又に住む人たちに人情があるということだと思います」と語った。
サミットは、寅さんやロケ地の魅力を発信しようと葛飾区などが主催。今年は、新たに宮城県栗原市、静岡県焼津市、福岡県朝倉市が加わった。

特設会場では物産販売のほか伝統芸能の披露などで各地の魅力を紹介。
朝倉市のブースでは蒸し雑煮など名産品が並んだ。7月の豪雨で被災し現在も仮設住宅で暮らす「あさくら観光協会」事務局長の里川径一さん(41)は「災害の跡は今も残っているが、頑張っているところです。寅さんの巡ったエリアは安全で、朝倉にも足を運んでいただければ」と話した。
甘酒、リンゴなどを販売する長野県小諸市のブースで、立ち寄った千葉県在住のフリーライター高井信成さん(60)は「寅さんはいつも振られるが、見ていて、次こそという気持ちになるのも面白さの一つ」と魅力を語った。
会場の一つ「葛飾柴又寅さん記念館」では、寅さんの好物のサトイモなどが入った記念弁当や各地の駅弁を販売した。

詳細はここをクリック

警察グッズ

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鮫洲の運転免許試験場に行くと
このような楽しい コップのフチ子グッズあります
フケオタ(婦警オタク)の皆さま ぜひお買い求めください  (^_^;)
 
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エサをバッサー


アメリカのトランプ大統領が来日中の11月6日に、東京・元赤坂の迎賓館の池で、豪快にコイにエサをやる姿が世界中で話題になった。
初めはサジを使ってエサを投げていたが、最後は升をひっくり返して、入っていたエサをバッサーと落とした。
その姿が、トランプ大統領の人となりを象徴しているように見えたからだ。
しかし、AP通信が配信した動画を改めて見てみると、トランプ大統領の隣にいる安倍首相が先に、バッサーと升に入ったエサを放り投げているのだ。
この様子を見てトランプ大統領は「コイのエサはこういう風にやるのだ」と思って、影響を受けたのかもしれない。
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トランプ「これ、チマチマ面倒くさいねー」
安倍ちゃん「こーやればいーんですよー」
トランプ「あーそっかー!」
 

ケチャップ大好き

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トランプ氏は、中まで火の通ったウェルダンのステーキを、たっぷりのケチャップに浸して食べることで有名。
米国内では「素材を台無しにする食べ方」と、たびたび批判の的になっている。
ツイッター上では
 「和牛にケチャップの取り合わせは弾劾に値する」 
 「トランプは刺し身にもケチャップをかけるつもりだ」
などの声が飛び交っている。
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 子供舌なんだなぁ~
   親しみを感じます  (^_^;)
 

台湾人の歌舞伎町

kabukichobook_thum630【書評】『台湾人の歌舞伎町 新宿、もうひとつの戦後史』/稲葉佳子 青池憲司・著/紀伊國屋書店/1800円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
終戦直後の新宿歌舞伎町あたりは焼け野原だった、と話していたのは、故種村季弘さん(ドイツ文学者)である。
私が子どものころ、歌舞伎町は映画を見に行くところで、帰りにロシア料理店に寄るのが楽しみだった。
父に連れられて何度か行った沖縄料理屋「南風」は女優の嘉手納清美の実家だと知られていて、在京沖縄人が集う店だった。
この歌舞伎町がかつて野原だったとは想像もつかなかったが、たしかに昔の歌舞伎町には「新開地」の雰囲気が残っていた。
戦前は小さな商家や住宅が混在し、高等女学校があった旧角筈一丁目北町だが、空襲により空白地帯となった。
終戦後、この一帯を興行街にする計画が立ち上がる。
歌舞伎劇場の建設が予定され、町名も「歌舞伎町」に変更された。
結局、歌舞伎劇場建設は頓挫したものの、映画館や娯楽施設がつくられ、その周辺に個性的な飲食店が誕生していった。
こうした歌舞伎町の発展には台湾人の活躍があったことを本書は明らかにしていく。
名曲喫茶「スカラ座」や「らんぶる」、そして「風林会館」や「アシベ会館」などの創業者は台湾人であったことに私は驚いた。
著者は丁寧な聞き取りと資料調査を重ね、ドラマに満ちた「もうひとつの歌舞伎町史」を描きだす。
台湾人創業者の多くは、戦前から日本に「内地留学」していた若者たちだ。
日本統治下にあった台湾から留学をすることができた彼らは、富裕な家に生まれたインテリ青年だが、終戦により裸一貫となってしまう。
台湾の政治状況も混乱をきわめており、日本にとどまらざるを得なくなった彼らは、まず新宿西口の闇市マーケットで商売を始めるのだが、やがて閉鎖されてしまう。
そこで、新しく生まれたまち歌舞伎町に活路を見出していったのだ。
台湾人華僑のネットワークや金融組織なども興味深いが、彼らのビジネス哲学は利益を求めるだけではなく、人が集う場としての魅力、広い意味でのまちの文化をつくろうとした気概を感じる。
※週刊ポスト2017年11月3日号
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 らんぶる創業者が台湾人とは
  知りませんでした (^_^;)