▲コキアの紅葉
▲コキアの紅葉
▲林芙美子の書斎
私は「歩くの大好き」で、あちこち歩き回っています
つい先日も小石川後楽園と旧岩崎邸庭園を歩きました
小石川後楽園は、ベスト10に入ってますね
第1位の新宿御苑は、出身高校が「御苑」(ぎょえん)に面していたので、高校時代の3年間、教室の窓から毎日「御苑」の緑を眺めていました
私のいた新宿高校では、新宿御苑を単に「御苑」と呼んでいました
新宿高校と御苑の間の塀には「謎の穴」が開いていたので、御苑には入場料があるにもかかわらず、密かに無料で自由に行き来出来ました
新宿御苑の管理事務所が、なぜこの「謎の穴」をふさがなかったのか、まさに謎です
その塀のあった場所に、明治通りの交通量を減らすための新しい道路「新宿高校バイパス」が出来たので、たぶんあの謎の穴は無くなったと思います
第2位の椿山荘は、明治の元勲だった山縣有朋(やまがたありとも、→)の本邸だったところで、小田原や京都にも別邸がありますが、どれも名園として名高い
彼は政治家や軍人であると同時に、和歌や作庭を趣味とする文化人でもありました
山縣有朋は、軍人勅諭や教育勅語を創った人で、当時のロシアの南下政策(日本侵略の可能性が大きい)への対策で、明治日本の軍事力を強化するために尽力した人です
この南下政策でロシア帝国の周辺国の多くはロシアの植民地となり、地獄の苦しみを味わいました(ウクライナもそのひとつで、今もその地獄を味わっています)
時代の必要とは言え、国民に多くの苦労を強いることになったので、彼の評判は今も昔も余り良くありません
私はいま、この山縣有朋という人物に興味が出て、伝記とか関連する歴史小説などをこれから読もうかなぁと思っています
下のランキングリスト以外にも東京には名園名庭が多く、庭歩きには事欠きません
その多くが江戸時代の大名屋敷です
当時の大名屋敷というのは、参勤交代で江戸に在住した大名やその家族の住居であると同時に、現在の大使館のような役割もあり、江戸で幕府や他藩の要人を招待して頻繁に茶会や宴会を開いていました
そのときに招待客に素晴らしい庭を見せることが大名のステータスでもあったので、江戸の各大名は大名屋敷の庭造りに莫大な手間やお金を注いだ訳です
いま世界中から観光客が日本へ押し寄せていますが、京都と並んで東京の庭園も人気の的になっています
日本庭園というのは、世界の庭園マニアの間でも非常に評価が高いようです
確かに日本庭園に比べると、西洋風の庭園は定規とコンパスで設計した子ども向けの公園といった感じで、イマイチ奥深さに欠けるような気がします
(^_^;)
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第1位は「新宿御苑」。
1906年に皇室庭園として誕生した新宿御苑。ヨーロッパ式の整形式庭園と風景式庭園、そして日本庭園を組み合わせており、「風景式庭園の名作」とも言われています。1949年からは国民公園として一般にも公開されました。広々とした御苑内は“都会のオアシス”として多くの人に愛されています。
第2位は「ホテル椿山荘東京 庭園」。
レストランや結婚式場を備えている「ホテル椿山荘東京」にある庭園です。美しい景色が広がる庭園では、春は桜、初夏は蛍、秋は紅葉など四季折々の風景を楽しめます。庭園内には「弁慶橋」(→)と言われる赤い色が印象的な橋や、夏には涼しい水音を感じられる「五丈滝」などもあり、見どころ満載です。
1位 新宿御苑(4.6pt/35,087クチコミ)
〒160-0014 東京都新宿区内藤町11
2位 ホテル椿山荘東京庭園(4.6pt/429クチコミ)
〒112-0014 東京都文京区関口2丁目10-8
3位 ホテルニューオータニ 日本庭園(4.5pt/734クチコミ)
〒102-8578 東京都千代田区紀尾井町4-1
4位 成城五丁目猪股庭園(4.5pt/122クチコミ)
〒157-0066 東京都世田谷区成城5丁目12-19
5位 浜離宮恩賜庭園(4.4pt/9,490クチコミ)
〒104-0046 東京都中央区浜離宮庭園1-1
6位 皇居東御苑(4.4pt/7,008クチコミ)
〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1
7位 明治神宮御苑(4.4pt/422クチコミ)
〒151-8557 東京都渋谷区代々木神園町1-1
8位 帰真園(4.4pt/200クチコミ)
〒158-0094 東京都世田谷区玉川1丁目16-1
9位 六義園(4.3pt/8,440クチコミ)
〒113-0021 東京都文京区本駒込6丁目16-3
10位 小石川後楽園(4.3pt/5,024クチコミ)
〒112-0004 東京都文京区後楽1丁目6-6
今日は新宿で高校の友人たちとランチ
その後、前から見たかった「トー横界隈」(とーよこかいわい)を一人で歩きました
トー横界隈とは、新宿歌舞伎町の新宿東宝ビル(→)の周辺エリアや、そこにたむろしている子供たち(トー横キッズ)のことを言います
新宿東宝ビルは、旧コマ劇場跡に出来たビルで、東宝の映画館(TOHO CINEMAS)などが入っていて、ビルの上に東宝映画の大スター「ゴジラ」の像があるので「ゴジラビル」などとも呼ばれている
その新宿東宝ビルの横だから「トー横」
「東横」と書くと電車の東横線とか、改装中の東横デパート(東急百貨店東横店)などと紛らわしいので、トー横と書くようです
▲トー横界隈の周辺マップ
▲トー横界隈の拡大マップ
私は良く言えば現場主義、悪く言えば野次馬根性で、事件や事故の現場、あるいは話題のエリアの雰囲気をその場に行って直接見たい、五感で体感したいという気持ちが非常に強い
いつの時代、どこの国でも、親や大人社会に反発したり適応しにくい十代の子どもたちというのは、一定比率で確実に存在する
それが家出同然に東京に出て来て、同じような気持ちの仲間に出会う場所の一つになっているのがトー横界隈
青春小説の舞台になりそうな場所で、大阪名古屋福岡などにも似たような場所がある
親や大人社会に反発するというのは、ある程度は健全な成長期の反応
まったく反発も抵抗もなくスルっと大人になってしまう子の方が、人生を長い目で見ると、アブナイ心理要素を秘めている可能性もある
この辺は新宿歌舞伎町の中心エリアで、もともと治安がかなり悪いのだが、そこに十代の子どもたちが集まっているから、相当アブナイ雰囲気になっているようだ
中にはお金がなくなって「パパ活する」(援助交際する、体を売る)女の子も出て来たりで、社会問題化している
ただ、今日はメチャ暑くて(35度くらい)、シネシティ広場にたむろしている子供たちは少ないようだった
インバウンドの外人観光客はいっぱいいた
このシネシティ広場、西武新宿駅側には武蔵野館という映画館があったんだけど、取り壊されて東急歌舞伎町タワーという高層ビルが建っていて、風景が一変していました
パパ活(いわゆる立ちんぼ売春)の本場と言われている大久保公園周辺にも行ってみたが、あまり人がいなかった
冷房の効いた周辺ビルに逃げ込んでるのかな?
周辺ビルのトイレを利用しようとしたら、入口でコインを投入しないと入れなかった
ビル内のお店を利用して、お店からコインをもらわないと、トイレを利用できないシステムになっている
トイレが犯罪(麻薬や覚せい剤取引など)の現場に悪用されないための、ビル管理者側の予防策ではないかと思う
帰りに紀伊國屋書店に寄った
ここは高校時代、毎日のように通っていたなつかしい場所
私は月に100冊くらい本を入手するけど、今はほとんどがアマゾン経由で、書店に行くことは激減した
昔は書店に行くと、買った本が重くて持ち帰りに苦労したんだけど、アマゾンなら家に送ってくれたり、ダウンロードしたりで、ぐっと楽になった
ただ、アマゾンだと立ち読みが出来ないので、たまには大きな書店へ行くようにしている(ほとんど買わないので、書店には申し訳ない)
アマゾンのせいか書店業界は壊滅状態だが、紀伊國屋書店は健在でうれしかったよ
帰宅してネットニュースを見ていたら、2日前(8/10)に小池都知事がトー横界隈を現場視察していたらしい
多数の警官に守られて物々しい視察だったようだが、こんなものは変装してお忍びで行かないと意味ないと思うけどね~
(^_^;)
▲パフォーマンス感丸出しでトー横界隈を「視察」する小池都知事
先日、小田原の一夜城に登った際に見つけた松永記念館、昨日見学しました
開館は朝9時からで、少し早く着いたので小田原駅の近くの牛丼すき家でビール2本を飲み、30分くらい歩いて記念館へ
いやー、この途中の道が暑かったこと~ (;^_^;;;)
暑さのせいか見学客は私一人
「電力の鬼」松永安左エ門 (→)が晩年を過ごした自宅と茶室を静かに見学できました
帰宅して今日、
を読みました
明治から戦中戦後にかけての日本経済史の、ド真ん中を駆け抜けたような波瀾万丈の人生
昨日訪れた晩年の自宅に、総理大臣池田勇人とか、数多くの政財界人が通ったのですね
この松永安左エ門さん、福沢諭吉とか明治の話がいっぱい出て来るので、かなり昔の人のようでもありますが、1971年に95歳で亡くなられているので、割と最近の人でもあります
上記の本には、実業家・福沢桃介(ももすけ、→)もたびたび登場します
同じく電力事業に傾倒し、時には松永の共同経営者、時には良きライバルだった桃介
ともに日本の電力開発に大きな足跡を残した天才実業家ですが、松永は秀吉に似た人たらしな所があり、桃介は信長に似てやや冷たく人を突き放すような所があった
松永と桃介は、ともに福沢諭吉の「直接の薫陶」を受けた慶応義塾の同窓
桃介の方が7歳年上だが、当時は入学とか学年とかエーカゲンだったので、ほぼ同期に塾生だった
諭吉は晩年、健康のために毎朝約4キロの散歩(三田から広尾や目黒のあたりまで)をしていたのですが、そのときに多くの塾生も同行し、その中に松永と桃介もいて、諭吉の前で時論を戦わせて親しくなりました
桃介は諭吉の娘と結婚(入り婿)して福沢に改名
この桃介さん、右上の写真のようにジャニーズ系の超イケメン、おまけに超お金持ちだったので、モテまくって女性関係は派手だった
のちに日本最初の女優・川上貞奴(さだやっこ、→)と愛人関係(不倫)にあったことでも有名です
このあたり、川上貞奴が主人公の大河ドラマ「春の波濤」でも描かれました
もちろん、愛する娘のダンナが不倫すれば娘の父親である諭吉にとって面白くないのは当然ですが、当時は不倫(特に男の不倫)に対して世の中全般に甘いというか超ユルい感じだったので、大問題にはなっておらず、桃介と諭吉の関係が破綻したりもしていない
そんな訳で桃介と貞奴は、隠すことなく堂々と、愛人関係を続けました
桃介は水力発電所建設のため、たびたび木曽川に現場視察に出かけています
そのとき木曽川にかけた橋(桃介橋)や、貞奴と過ごした別荘(現在の桃介記念館)などが木曽川沿いに現存し、私も以前訪れたことがあります
帰りに川崎のよくいく回転寿司屋に寄ったのですが、そのときの板前さんが超面白い人だった
親が医者で、その仕事の関係で海外で育ち、中学の時に日本に帰国したときは日本語がまったく話せなかった
英語フランス語イタリア語スペイン語が堪能で、今も1年の半分は海外生活、奥さん(イタリア人)は30歳以上も年下の超美人(写真を見せてくれた)
いま海外では日本人の板前が引っ張りだこで、日本での給料の倍以上もらえるとか、そんな人がなぜいま日本で回転寿司の板前をしているのかなど、面白い話をいっぱい聴きました
ビール1本のツモリで入ったのに、話の面白さにグングン引き込まれて、結局3本(今日は合計5本)飲んじゃった
(^_^;)
松永記念館(松永安左エ門の自宅)の居室
晩年の松永は、この部屋で寝起きをしていたらしい
北アルプス燕岳(つばくろだけ)で8/4、登山中の男性(80)が滑落し、死亡しました。
警察によりますと、8/4午前7時すぎ、神奈川県横浜市の男性(80)が北アルプス燕岳の標高2650m付近で滑落しました。
燕岳から大天井岳に向け登山中で、尾根からおよそ100m滑落したとみられています。
男性は8/3、2人のパーティーで中房登山口から入山。
もう一人の同行者からの救助要請を受けて、長野県警のヘリで松本市内の病院に搬送されましたが、頸椎損傷により死亡が確認されました。
* * * * * * *
私は「歩くの大好き」なので、あちこち歩き回るし、ハイキング程度の低山にも登るが、2650mなどという高山にはほとんど登ったことが無い
だから、この北アルプス燕岳(つばくろだけ)が、どれほど登山難易度の高い山か、正確には知らない
だけど、100mも滑落する危険があるというだけで、80歳には無理があるんじゃないかなぁと感じる
「ワシはまだ若いんじゃ!」と言わんばかりに元気さを強調するじいさんが時々いるけど、年齢を無視した若化粧をしているばあさんに似たものを感じる
(;´Д`)
▲役行者
▲有栖川公園の池