読書

読書 日本中世の民衆像

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前半で平民、後半で職人を扱っている

本書で言う平民とは、その大部分が農民で、土地に縛り付けられ、年貢を納める義務を持つ

年貢と言うと米俵をイメージするが、それ以外に広範な内容を包含していた

本書で言う職人とは、平民(農民)以外のほとんどあらゆる職業の者を意味し、手工業者だけでなく、商人、漁師、狩人、芸人、娼婦、医者、呪術師なども含む

職人の最大の特徴は、土地に縛られずに諸国を移動でき、年貢を負担しないこと

職人集団はその特権維持のために、天皇や公家、寺社など権門との関係を表す「由緒書」を所持していた

職人の中のある者は、時代が下ると被差別集団になるのだが、ここに社会の最上部(天皇)と底辺(非人など)のつながりが不思議な形で残ることになる

先に読んだ同じ著者の『無縁・公界・楽』とかなり重複している

筆者は共産党員で、学界主流から外れていたので、天皇制や既存学会をやや敵視している

(^_^;)

読書 世界の歴史がわかる本1

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著者は高校の世界史の先生で、NHKの高校講座の講師もしていたみたい

教科書のような無味乾燥な文章ではなく、まず最初に「・・・なのはなぜか?」という疑問を出し、それに答える形で説明を進めるスタイルをとっている

さほど目新しいことは書いてないが、面白く読めた

西洋史だけでなく、中国やインドも含めて、文明の発生から13世紀くらいまでを扱っている

中国って、ずぅーっと専制王朝国家であって、大部分の中国人は歴史上一度も、自由とか民主主義を味わってないんだよね

一時(唐のころ)は世界で最先端の文明を持ったこともあるけど、その後の進歩が余り感じられない(むしろ退歩してる)

今でも大陸中国には普通選挙も無く、共産党独裁政権の残酷な支配に甘んじている

つい最近まで、子供は一人までとか共産党が勝手に決めてたし、住所も自由に変えられない

最近の中国コロナの大騒ぎもあって、中国みたいな国が世界の覇権を握ったら、人類は大変なことになるって、いま世界中の人が思い始めてるんじゃないかな?

(^_^;)

 

読書 「世間」とは何か

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ドイツ中世史が専門である著者が、万葉集から現代にいたる日本文学の作品を渉猟し、その中に現れた「世間」のあり方について考察している

その中では、兼好の「徒然草」と、夏目漱石における世間が特に面白かった

世間は現在でも、日本人の行動や考え方、あるいは生き方まで規定しているが、山本七平の言うように空気のような存在なので、対象化して分析するのが非常に難しい

多くの日本人は、多かれ少なかれ世間の中での生き難さや世間への鬱陶しさを感じ、そこから逃れようとしているかのようにも見えるが、実は世間には生き易さの側面も大きく、なかなか簡単に捨て去ることも出来ない

世間での生き難さが先鋭化した一部の人は、かつては出家したり、隠者となって人里離れた場所に庵を結んで隠棲したりして「脱世間」してきた

本書に取り上げられている作品のほとんどは、それらの脱世間した人々が生み出してきた

親鸞の作った浄土真宗の集団は、彼が生きていた時代には、世間を拒否した脱世間社会を構築したかに見えたが、やがて世間の原理が徐々に浸透して、今では脱世間の特質はほとんど失われているという

本来なら世間を対象化して分析すべき学者の社会が、まさに世間の典型であって、著者は余り関わり合いたくないなどと嘆いている

21世紀の現在、十代、二十代がよく利用しているSNSにも、世間は深く値を張っている

炎上事件とか、辛辣な投稿を苦にした自殺事件なども頻繁に起きており、日本人と世間主義文化の根の深い結びつきを感じる

(^_^;)

 

読書 日本の歴史をよみなおす

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『無縁・公界・楽』と同じ著者で、有縁・無縁という切り口で日本史の新しい局面を切り開いている

その中で、日本の社会は14世紀に大きな転換点を迎えたと主張しており、それ以後の社会はつい最近(昭和)まで続いていて、いま第二の転換点にあるとしている

逆に14世紀以前の社会は、現在の日本人が知っているものとは相当異なった社会だったということになる

そこでは、無縁の場(市場、社寺、境界、河原、港など)で、無縁の民たち(職人、商人、芸人、神職など)が自由に活躍し、被差別民として蔑視もされていなかった

女性、子供、病人なども無縁性も持つものとされ、現在とは異なる扱いがなされていた

特に性に対する大らかさ、自由さには驚くべきものがあり、明治以降に入って来たキリスト教の性道徳が、現代の日本人の性道徳を、必要以上に縛り付けているのではないかと思えてくる

夫婦の離縁状も、形式的には夫だけが書いているので、残された文書だけ見ると、妻には何の権利もなかったと思われがちだが、実はそうでもないらしい

妻から離婚を切り出して、あるいは妻が実家へ帰ってしまい、村や町の有力者も出てきて夫婦の言い分を聴き、夫が仕方なく離縁状を書くというケースも少なくなかったという

それでもどうしても夫が承諾しないレアケースのみ、昨日尋ねた北鎌倉の東慶寺のような、いわゆる駆け込み寺が機能していた

無縁性についての社会構造は、時代差とともに地域差も大きく、関西以西と関東以北では、別の国かと思うほど異なっていたようだ

(^_^;)

読書 武井の展開する世界史

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純然たる大学受験用の世界史の参考書

面白くもなんともない教科書的な記述だが、いろいろ読んだあとの頭の整理として読むと、非常に簡潔に要点だけ書いているので、頭の整理にはピッタリ

特に図表がシンプルで、余計な部分を捨てて、必要最小限に絞り込んだ情報だけを残しているので、スッキリ理解できる

逆にこんな無味乾燥な歴史を頭に詰め込まされる受験生が、少しかわいそうになる

著者は予備校「代々木ゼミナール」の人気講師として長年活躍し、教室には席が足りなくて立ち見する受験生までいた

たぶん、世界史でひと財産築いたのではなかろうか

(^_^;)

読書 夜這いの民俗学

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他に娯楽の少ない田舎や、都会で働く下層民にとって、昭和の初めころまで、夜這い(よばい)はごくごく普通の生活習慣だった

田舎の村で、一人の男(女)が村のほとんどの女(男)と関係していることなど、さほど珍しいことではなかった

商店では、番頭や手代、丁稚が、店の奥にいる女中に手を出すのは日常的だった

21世紀のいま読むと「ほんまかいな?」という赤裸々な話が続き、現代の日本人が抑圧している性欲が、実に大らかに、大っぴらに開放され、繰り広げられている

現代のオフィスラブなどとは次元の異なる、底抜けの自由奔放さだ

江戸時代からの儒教道徳などは、一部の武士階級だけに通用していたタテマエに過ぎなかったことがよく分かる

いまの世の中は、人間の根源的な楽しみである性が抑圧され、その反動として膨大な種類の娯楽が生み出されたのではないか?という逆説さえ感じる

著者は1909年生まれで、関西の田舎で生まれ育ち、大阪で丁稚奉公などいろいろな仕事を経験しながら、なぜか民俗学的な興味に取りつかれ、ひたすら体験し記録した

正統派民俗学の柳田國男には反発し、性とやくざと天皇を話題にしていないとして厳しく批判している

学者風に話を抽象化したり一般原則を導き出したりせず、ひたすら事実を延々と記述しており、非常にリアリティがあって面白い

今となっては、ほぼ消えてしまった古き良き時代?の、極めて貴重な記録である

(^_^;)

 

読書 無縁・公界・楽

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直前に読んだ「中世の星の下で」はヨーロッパ中世を扱っているが、本書は日本の中世を支配していた原理「無縁」をテーマとして、歴史を見るための一つの画期的な視点を導入している

左の本書表紙にもあるが、日本の古い絵画を見ると、横長楕円形がいくつか集まった「雲」のようなものが描かれている

これは当時の人々にとって「よく分からない世界」のシンボルだったのかもしれない

現代の自然科学万能の世界観からは想像しづらいが、中世までの世界は人間が支配した世界と、まだ人間支配に属していない「よく分からない世界」に分かれていた

人間支配に属した世界は、誰がその世界の主(支配者)であるかを明示された「有縁」の世界であり、それ以外の「よく分からない世界」は「無縁」とされた

大雑把に言えば、有縁の世界とは律令制で区画された農地であり、無縁はそれ以外の世界だった

有縁の民(百姓)は土地の支配者に隷従し、土地に縛り付けられた不自由な民だったが、それ以外の無縁の民(職人、商人、芸人、神職など)は、相対的に自由な民だった

それは支配者にとって不都合なことだったので、無縁の民は農民よりも下とされて、差別の対象となることも多かった

まさに「士農工商」なのだ

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子供の遊びに「えんがちょ」というのがある

「えんがちょ」でつかまっても、「えんきった!」と宣言すると自由になる

これは「縁切った」であり、有縁(被支配)から無縁(自由)への移動宣言であると著者は指摘する

明治維新直前まで続いていた駆け込み寺は、当時の女性の離婚権にかかわる重大な存在だが、その根源は「縁切った」にあるらしい

現在でも、有縁の民(サラリーマン)と、無縁の民(自由業)の区分は、生きているのかもしれない

(^_^;)

 

 

読書 聖書の世界

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旧約聖書は紀元前2世紀、新約聖書は4世紀に、聖書編集委員会のような集まりがあって、いろいろあった記録史料の中から、これはいい、あれはダメ、などと取捨選択されてまとめられました

当然ですが、宗教の正統派を自認する人たちが選ぶ訳ですから、これは都合が悪いという「異端」史料は捨てられます

さらに、聖書の内容が余り膨大になると面倒なので、どうでもいい些末な史料も除かれます

そうやって削除された史料は「外典・偽典」などと呼ばれており、さらに聖書編集委員会の後に発見された重要史料(例えば「死海文書」)もあります

本書では、これらの聖書から漏れている史料の説明もあって、聖書成立の裏側が見えてきて面白い

「定価580円」とあるように、この本はコンビニの雑誌コーナーの片隅に置いて売ろうとしたらしく、一般大衆向けに分かりやすく書かれています

コンビニに牛乳を買いに来たついでに、聖書の本を買う人がどれほどいるのか知りませんが、それなりにいるから出版されたんでしょうね

(^_^;)

読書 ユダヤ人の発想

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著者はニューヨーク生まれのユダヤ人で、日本在住期間が長く、知日派として多くの著書がある

本書は石油ショックのころに書かれたので、日本人ビジネスマン向けに危機意識を煽る内容で、そのためにはユダヤ人の知恵に学べと諭している

実際、アメリカの政財界や学界など、著名ユダヤ人がキラ星のごとく並び、民族的な差別にもかかわらず社会的に成功しているが、その秘訣があるなら知りたくなる

本書では、その秘訣の一つを「疑問を提出する能力」に置いている

解答を覚えるのではなく、自分の置かれた状況に対して、適切な疑問を考えつくことが重要だと強調する

本書では主にユダヤ教の「タルムード」について説明し、ユダヤ人の知恵の源泉としている

タルムードは聖書の解説書のような存在だが、百科事典のような膨大な情報を含んでいる

その中では様々な疑問が提出され、過去の偉大なラビ(ユダヤ教の学者)たちが、様々な意見を提示している

一つの解答を示すのではなく、いろいろな意見を戦わせる、そのプロセスを記録したものがタルムードなのだそうだ

神については唯一絶対神を信じる民族が、問題の解答となると多様な考え方を尊ぶというのは、面白い逆説だと思う

(^_^;)

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▲タルムードの全巻

 

読書 日本ユダヤ超文明FILE

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日本ユダヤ同祖論というものがある

日本人とユダヤ人は、先祖が同じであるとする、かなり荒唐無稽な説なのだが、本書にはその「証拠」が山ほど集めてある

ユダヤ民族の歴史に12の支族が登場するが、そのうち10支族は今から2700年前にこつ然と歴史から姿を消し、行方不明になっている

この10支族が東へ東へと何世紀も旅(移住)を続け、ついに日本にたどり着いたというのが日本ユダヤ同祖論の骨子

日本にたどり着いた彼らは秦氏と名乗り、養蚕技術を伝えるなど、大和朝廷に多大な貢献をした

日本の古代史における秦氏の存在は間違いないのだが、問題は秦氏の先祖がユダヤ民族であるかどうか

正統な歴史学者から見れば、一種のトンデモ学説だと思うが、これが意外に面白く、中には信ぴょう性を感じさせるような「証拠」もある

日本では余り注目されていないが、イスラエルでは10支族の末裔探しが国家レベルで進められており、駐日イスラエル大使が必死に「証拠」集めをしたりして、日本との温度差が感じられる

(^_^;)