1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、1/17で丸26年を迎えた。
発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事があった。
新型コロナウイルス禍の中でも「この日だけは」と多くの人が手を合わせ、震災で亡くした家族や友人らを思い起こした。
前日から紙製の灯籠でかたどられた「がんばろう」の文字が点灯され、分散来場が呼び掛けられた東遊園地。
その中に、震災で母親の藤井あい子さん=当時(83)=を亡くした神戸市東灘区の寺内和子さん(72)の姿があった。
あい子さんは全壊した自宅の下敷きになった。
震災の日が近づくと当時がよみがえる。
自身もけがをしながら実家に駆け付けたこと、がれきから出てきた足が温かかったこと、掘り出されたあい子さんは「あ、あ」と懸命に何かを伝えようとしたこと、自らくぎを打ち棺おけを作ったこと…。
和子さんは「お母さんの代わりに誰かのためになれば、自分が救われるかもしれない」と介護ヘルパーの仕事を続けている。
新型コロナの影響で離職者が増え、夜から翌朝までの勤務にも入るようになったが、「この仕事は辞めたくない」。
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東日本大震災では東京でも、住んでいるマンションが崩れるかと思うほど揺れましたが、阪神・淡路大震災では、揺れた瞬間はほとんど気が付きませんでした
でもテレビで刻々と入って来るニュースは神戸一帯が燃えているような感じで、死者数も当日は数百人くらいでしたが、毎日千人くらいずつ増えていく感じで、非常に恐ろしかった
たまたま地震の翌日に大阪で結婚式に招かれていて、問い合わせたら決行するとのこと
飛行機を調べたら飛んでいたので、伊丹空港経由で大阪へ行き、結婚式の翌日、西宮から神戸にかけて10時間くらい歩きました
最も印象に残ったのは、木造建築が地震に弱いということ
木造の家が跡形もなくグシャグシャになって燃えているすぐ隣で、鉄筋コンクリートの家が、外形はほぼ無傷という場面をたくさん見ました
日本に住んでいる限り、木造の家には住みたくないなぁ、と今でも思っています
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