80【ヒストリー】

しゃこたん島

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福井照(てる)・沖縄北方担当相(64)は28日の衆院予算委員会で、27日夜に開いた就任後の初会見で、北方四島の1つ、色丹(しこたん)島を「しゃこたん島」と、言い間違えたことを、謝罪した。
「数年前、ビザなし交流で色丹に行った話のくだりで『しゃこたん』と言った」と認め、「元島民や、北海道の皆様にご迷惑をかけたことはおわび申し上げたい」と述べた。
北海道が地元の立憲民主党の逢坂誠二氏から、「『積丹町』という町もある。その方々にも失礼だし、緊張感に欠けているのではないか」と指摘されたのに答えた。
福井氏は27日、健康問題を理由に辞任した江崎鉄磨氏(74)の後任として、就任したばかり。
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 どうでもいい話ですが どうせ間違えるなら
  「しょこたん島」と間違えていれば
 もっともっと面白かったのになぁ  (^_^;)
 

有賀さつきアナ 急逝

c0e868b4e055abb390a957109934bb9f 明るく奔放なキャラクターで「女子アナブーム」の火付け役となった元フジテレビアナウンサーの有賀さつき(ありが・さつき)さんが死去していたことが4日、分かった。52歳。東京都出身。
取材では1月末に他界。詳しい死因などは明らかになっていないが、昨年から闘病していたという。
アイドルアナの先駆者らしく病気を公表せず、最後まで笑顔でテレビに出続けた。
あまりに早い旅立ちだった。有賀さんは4日未明の日本テレビの通販番組「日テレポシュレ」にも昨年収録済みの映像で出演していただけに、衝撃は大きい。
昨年10月、テレビ朝日「あいつ今何してる?」に都立九段高の同級生らと出演した際には、いつもと変わらない明るい表情を見せていたものの、青春時代を懐かしんで涙するシーンも。
親友だった同級生に「アリ、頑張ってね」と言葉をかけられた時、歩んできた人生の思いが交錯したのか、人目をはばからず、大粒の涙を流していた。
本紙の取材では、有賀さんは先月末に亡くなった。
死因や葬儀日程など詳細は明らかになっていないが、元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏(65)には訃報が伝えられている。
有賀さんは都立九段高校時代から、1メートル70の長身と持ち前の美貌で、同級生が「他校から見に来る生徒がいた」と伝説を語るほどのマドンナ的存在だった。
88年にフジテレビ入社。同期の河野景子(53)、八木亜希子(52)両アナウンサー(当時)とともに「花の三人娘」と呼ばれた。
中でも有賀さんはアイドルアナの先駆けとなった。華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現するチャーミングな言動で絶大な支持を得た。
その象徴となったのが“旧中山道事件”だ。
91年に出演番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で、他局の女子アナが「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたことを取り上げた際「この“きゅうちゅうさんどう”ですよね」と自分も間違える想定外の展開にスタジオは大爆笑。
女子アナのタレント化は民放全体に広がっていった。
電撃退社もいまや伝説。92年にわずか4年でフジテレビを去り、フリーに転身。
いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」でサブ司会を務めるなど、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いた。
私生活でも奔放さを見せた。95年に芸能事務所社長との不倫が発覚。会見で「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上にどうしようもない愛を感じる」と発言し世間の注目を集めた。
その後02年にかつて上司だった和田氏と結婚、同11月には長女をもうけるが06年に離婚。「夫婦だったけど上司だった」「彼とは言語が違った」の率直な言葉でまたも世間の度肝を抜いた。
突然の悲報も衝撃。最後まで人々を驚かせる華やかな人生だった。
有賀さつき(ありが・さつき)1965年(昭40)9月9日、東京生まれ。5歳から8歳まで米ニューヨークで育つ。フェリス女学院1年時の84年に、文化放送「ミスDJリクエストパレード」に出演し、放送業界に関わる。漢検準1級などの資格を持ち、昨年7月のフジテレビ「ネプリーグ」で「喇叭(らっぱ)」という漢字を正確に書いてみせた。

日劇が消える

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日劇」の愛称で80年以上親しまれてきた東京都千代田区有楽町の映画館「TOHOシネマズ 日劇」が2月4日に閉館する。

20180130-OYT1I50017-N 同館は、これまでの感謝の思いを込め、名作映画約60作品を閉館日まで上映している。

 同館は、商業ビル「有楽町マリオン」の上層階で3スクリーン計2136席を営業する映画館。

1933年に「日本劇場」として開業し、映画だけでなく舞台でのダンスショーなども行った。

経営主体が変わったり、1980年代に建物を建て替えたりしても、「日劇」の名称は残されてきた。

 1984年公開の映画「ゴジラ」では、マリオンがゴジラに破壊されるシーンとして登場するなど、映画ファンにとってもなじみの深い場所となってきた。

 TOHOシネマズは、今年3月に開業する近隣の大型複合施設「東京ミッドタウン日比谷」に、13スクリーン約2800席の映画館「TOHOシネマズ 日比谷」を開業することから、日劇の閉館を決めた。

使わなくなったスペースは貸しホールなどに活用する。

 同館は「国内外の多くの名作が上映された歴史を最後に伝えたい」と特別イベントの実施を決定。

ゴジラや「ターミネーター」などを、スクリーンごとに1日3~4作品上映。

2月2、3日には「踊る大捜査線」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などのシリーズ作品を夜通し上映する。

 また、3、4日には「Shall we ダンス?」の周防正行監督ら映画関係者によるトークショーも行われる。

TOHOシネマズの担当者は「この地で支えてくれた多くのお客さまに楽しんでもらえる期間にしたい」としている。

 料金は一部を除き1100円。

上映スケジュールやチケットの購入は、TOHOシネマズのホームページから。

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 日比谷に「発展的移転」
  ということですね  (^_^;)
 
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旧日劇ビル ▲開館当時1933年(昭和8年) ▼建替直前1981年(昭和56年)

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東芝→アマゾン アニメ「サザエさん」のスポンサー

東芝が経営合理化を理由に3月末で降板する国民的アニメ「サザエさん」の新スポンサーに、インターネット通販大手アマゾンジャパンやベビー用品専門店の西松屋チェーン、大和ハウス工業が決まったことが30日、分かった。
日曜日の夜に家族がそろって楽しめる人気番組で、いずれも提供企業に加わることでイメージアップなどの宣伝効果を期待している。
4月からの改編に伴う入札が行われ、10社近くの参加企業から選定された。
東芝は、エアコンやカラーテレビといった家電の普及が進んだ高度経済成長期末期の1969年に、サザエさんの提供を始めた。
事業の軸足がパソコンなどの情報通信分野に移り、98年に1社提供から撤退。
2016年に白物家電事業を中国企業に売却したことなどからスポンサーを続ける意味合いが薄れ、昨年11月に降板を発表した。
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 サザエさんとチビまる子ちゃん 毎週見てます
  お父さんの波平って 54歳なんだよね  (;´Д`)
 

キャバレー「白いばら」閉店

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昭和、平成と東京・銀座の栄枯盛衰を見つめてきたグランドキャバレー「白いばら」が1月10日、大勢のファンや従業員に惜しまれながら閉店した。
「愛ちゃん」「リサちゃん」。最終日の店内は予約客だけで満杯となり、ひいきのホステスを呼ぶ客の声が飛び交った。
店の外では、入店待ちの客が長い列をつくった。
店は1931(昭和6)年に創業
地方出身のホステスたちのお国ことばでの接客が人気で、無名時代の歌手美輪明宏さんらもステージに立った。
酒場の多様化に伴うキャバレー不況も乗り越えたが、施設の老朽化で90年近くの歴史に幕を閉じることになった。
「千秋楽を見届けたい」
閉店することを知った昨年秋に予約したさいたま市浦和区、会社員斎藤賢一さん(58)は、ひいきのホステスに贈ろうと店名にちなんだ白いバラを買ってきた。
最後のショーが終わった後、客や従業員が全員で「今日の日はさようなら」を合唱した。
50年以上店で働いた山崎征一郎元店長は、客や元従業員が大勢駆け付けたことに「皆に愛されうれしい」と喜んだが、「その分、皆と別れるのが寂しい」としんみり語った。

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がってん寿司銀座店のすぐ向かい
むかし友だちに誘われて行ったことあります
ホステスさんの年齢層が非常に幅広く
かなりご高齢の「女の子」もいました  (^_^;)
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なぜ45分間も校庭にとどまり続けたのか?

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▲震災前   震災後▼

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東日本大震災の津波で全校児童108人中74人が死亡となり、児童を保護していた教職員10人が死亡した宮城県石巻市大川小の避難ルートについて、教職員が北上川の堤防道路(三角地帯)への最短ルートと誤解し、行き止まりを知らずに裏道を進んだ可能性が高いことが、河北新報社の検証で分かった。
児童の足取りを巡っては「なぜ、津波に向かって進んだのか」「なぜ、県道に直接出ず、遠回りしたのか」など長い間謎だった。
(大川小事故取材班)
2011年3月11日午後2時46分の地震発生。
その直後、教職員と児童は約45分間、校庭にとどまり、津波襲来の約1分前までに校庭を徒歩で出発した=上図=。
証言によると、その後、釜谷交流会館の駐車場を横切っている際に県道から戻ってきた教頭が「津波が来ているから急いで」と叫び、児童の一部は途中で右折し、民家の間を通って県道に出ようとした。
先頭付近にいた当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は県道に出る直前、津波に気付いて引き返し、裏山を約3メートル登った辺りで波にのまれた。
地元釜谷育ちの只野さんは「行き止まり」を知っており、とっさに右折するルートを選んだ。行き止まり付近では児童34人の遺体が見つかった。
地元住民によると、裏道は1976年12月に新北上大橋が開通するまで、軽トラックが通れる道幅があった。
開通後も幅1メートル弱の小道は残り、近所の住民が生活道として利用していた。商店主が震災の約10年前に高さ2メートル以上の鉄柵を設置し、通行できなくなった。
鉄柵と山裾にはわずかな隙間があり、「震災の数年前まで三角地帯に行けた」との証言もある。地元の女性は「無理をすれば通れたが、子どもを大勢連れて通る道ではない」と話す。
三角地帯は標高約7メートルで学校より6メートル近く高い。教頭は地元住民と相談し、三角地帯行きを決めた。
住民のアドバイスなどを基に、土地勘のない教職員が裏道を先導した可能性があるほか、「交通量が多い県道を避けた」との見方もある。
大川小は07年度に危機管理マニュアルを改定し、「津波」の文言を初めて盛り込んだ。10年度の改定でも校庭からの避難場所については「近隣の空き地・公園等」を踏襲し、具体的な場所を指定しなかった。
仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2~3メートルの津波に襲われた。
マニュアルの不備に加え、震災当日の(1)避難先(2)避難ルート(3)出発時刻-など二重三重の判断ミスが重なり、「大川小の悲劇」につながったと言える。
<主体的決定なし/遺族らでつくる大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さん(54)の話>
先生たちは「三角地帯に行ける」と思って行ったのかもしれないが、
そもそも、なぜ45分間も、校庭にとどまり続けたのか?
学校管理下の避難行動にもかかわらず、学校側の主体的な意思決定がなかったことが原因の全てだ。
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 とりあえず様子を見る という判断が
  最悪の判断になるかも  ((((;゚д゚))))

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校庭のすぐ後ろが山だった

 

 ▲震災3年目   昨年末▼

詳細はここをクリック

 

イヌ派によるネコ論

download先日(2017年12月)のペットフード協会の発表によると、全国犬猫飼育実態調査で、調査開始以来、はじめてネコの推定飼育数が犬の数を上回ったという。
人類の相棒は犬じゃなくてネコだった──というわけではないけれども、少なくともペットの王は今やネコに移り変わりつつあるといえるのではないだろうか。
飼いやすいというのもあるが、ネットをみればネコの画像や動画はいつだって大流行で、あっという間に万を超える閲覧、再生数を叩き出し人間の心を鷲掴みにする。
いったいネコの何が人間をそこまで惹きつけるのだろうか?
犬は狩りもすれば防犯にも役に立ち、飼い主が苦しんでいれば寄り添って慰めてくれる。
お座りだろうがお手だろうがちょちょいのちょい。
一方、ネコはどうだ。お手ができるネコが現れれば奇跡のような扱いを受け、好き勝手に生活し、役に立つこともなく、人間がおネコさまに奉仕するかのようだ。
そのうえ、ネコは生態系を致命的なまでに破壊し、世界の侵入生物種ワースト100にまで選出されている。
僕はずっと犬派なので若干ネコへの視線が厳しくなったが、本書はそんなおネコ様の秘密──どのようにして飼いならされたのか、なぜ人間は特に役に立つわけでもないネコを飼い始めたのか、なぜ犬よりも飼われ、ネットでバカ受けするのかなど、ネコと人の歴史をそもそもの歴史と生態から問い直し、サイバースペースを支配する理由まで解き明かす一冊である。
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早稲田ラーメン

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都の西北こと早稲田大学の早稲田キャンパス(東京都新宿区)から徒歩5分。
地下鉄早稲田駅までの通学路に、早大生をとりこにするラーメン屋があります。
軒にかかる看板に軽食&ラーメン「メルシー」の文字。
店頭のガラスケースには商品サンプルという昭和テイストな見た目。
その古くさい感じそのままに煮干しダシのしょうゆラーメンは、素朴な味そのものです。
そして、1杯400円という安さ。
卒業後に食べに来るOB・OGも多く、まさに早大生のソウルフードといえます。
かくいう記者(37)も学生時代、週2~3回は食べていました。
就職して地方転勤する前夜、東京での「最後の晩餐(ばんさん)」としてメルシーのラーメンを選んだほど好きです。
先日、久しぶりに再訪しました。
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 慶応大学前のラーメン二郎が有名ですが
  早稲田にもあるんですね  (^_^;)
 
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修理完了

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京都市東山区の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)(国宝)に並ぶ千体千手観音立像(国重要文化財)について、45年間続いてきた保存修理がすべて終わり、12月22日午前、最後に修理されていた9体が堂内に運び込まれた。
観音立像は計1001体。平安~鎌倉時代につくられ、南北約120メートルの堂内で本尊の千手観音坐像(ざぞう)(国宝)の背後に1体、左右のひな壇に500体安置される。
年間100万人の参拝者が訪れるため、衣類の繊維などのほこりが表面に付着。その下層は、漆や金箔(きんぱく)がはがれやすくなるなどの傷みが進んでいた。
1973年から、年に数体~50体ほどを美術院国宝修理所(京都市)の工房に運び込み、ほこりの除去や表面の金箔(きんぱく)の浮き上がり防止などの修理作業を順次続けてきた。
総事業費は約9億2千万円。6割程度は国庫補助でまかなわれた。
文化庁によれば、重文の彫刻1件の修理期間としては過去最長だという。
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 こうゆうコツコツとした仕事って
  日本人は得意だよね  (^_^;)