80【ヒストリー】

市長と殺人犯

shinshiro

1952年9月21日生まれ(64歳)  1949年9月29日生まれ(67歳)

なんだか ドラえもんと ゾンビみたい  (;´Д`)

新城市長・穂積亮次の略歴
1968年、都立小石川高校に入学。
1975年(22歳)、マルクス主義青年同盟(マル青同)のリーダーとして岡山大学北津寮を襲撃(岡山大学北津寮襲撃事件)。
内ゲバではなく、一般学生への無差別殺害目的による襲撃であった。
寮生多数に暴行傷害を加え、さらに寮に隣接する教養部グランドに集まっていた寮生たちに向けて、襲撃隊長の穂積亮次は「殺せ!ひき殺せ!」と叫び、街宣車を突入させた。
 故意に顔を目掛けてひき殺し、まだ息があるうちに生き埋めにした
事件で殺害された当時理学部化学科1回生・大沢真さんは、死体発見時に顔面が破壊された惨憺たる状態で、すぐに本人とは判別できなかった。

ほとんど同じような凶悪虐殺事件の主犯なのに
 片方は現在 新城市長のイスに座っています
東名高速事故のあった愛知県新城市です ((((;゚д゚))))

穂積亮次の経歴はここをクリック

 

の社長になっている者も少なくない)、自分で事業を興したり(牛丼「すき家」の社長がまさにそう)、そして穂積亮次のように政治家(市長)になった者もいる

戦争とか革命とか、時代の大きなうねりの中で人の一生は翻弄される訳だが、犯罪者として悲惨な人生になる者もいれば、要領よく立ち回って、華やかな人生を過ごす者もいる

まさに人の世はドラマだなぁと思います

((((;゚д゚))))

 

新選組の名簿発見

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幕末の京都で新選組の前身となった浪士組235人の出身地や年齢、家族構成が記された詳細な名簿が、東京大法学部に保存されていることが5月28日、歴史研究家への取材で分かった。
妻子を持った40代以上の者も多く、中には60代の浪士も。
動乱の時代に立身出世を夢見た新選組の原点が垣間見える。
見つかったのは「浪士姓名簿」と題された冊子で、これまで一部の存在しか知られていなかった。
幕府の呼び掛けで江戸に集まった者の身上書を基に、浪士組取締役だった旗本が一覧を記したものとみられる。
後に新選組幹部となる沖田総司や永倉新八、藤堂平助が近藤勇の道場に同居し、山南敬助が門人の家に間借りしていたことが分かる。
父母や妻子の記載がなく、独り身とみられるのは80人足らず。
63歳が2人おり、「孫」「祖母、母、妻子六人」「父母、兄弟十人」など多くの家族を抱える者もいた。
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63歳と言えば 当時は隠居してる年齢
浪人は大変だったんだね  (~_~;)

本日は土方歳三の命日

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江戸時代の末期、約260年の歴史と新しい時代の潮流が混ざり合う激動の日本において、時代の波に翻弄された男たち・新選組。
田舎のゴロツキから当時の首都「京都」の守護職にまで成り上がった彼らのストーリーと、悲しい最期にロマンを馳せる人は少なくないだろう。
本日2017年5月11日は、土方歳三の148年目の命日だ。
よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも 魂は東(あずま)の 君やまもらむ
 

新選組に見る破滅的な美

土方歳三と言えば、新選組において1、2を争う有名人。
局長の近藤勇の死後も、その意志を貫き瓦解する新選組と心中した姿には、破滅的な美しさがあると言っても過言ではないだろう。
思えば、肺炎で病死したと言われる沖田総司、正義の味方のつもりが悪者の親玉となってしまった近藤勇。
それぞれに破滅に向かう悲しさや美しさがあって、そこが日本人の琴線に触れるのかもしれない。
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愛刀「和泉守兼定」

それはともかく、東京都日野市にある「土方歳三記念館」では、毎年、命日に合わせ愛刀「和泉守兼定」の刀身が期間限定で公開されている。
2017年は4月2日から5月21日までの公開となっており、
開館日は残り5月13日、14日、21日の3日間
新選組のファンは、訪れてみるのも良いのではないだろうか。
土方家過去帳には
「歳進院殿誠山義豊大居士 行年三拾五才 明治二巳年五月十一日 箱館一本木関門に戦死す 俗名土方歳三 土方義諄の末子幼年より剣術を学び近藤勇と共に京師へ至り終に箱館に戦死す」⇒
 
熱狂的な女性ファンで
大混雑してそうな予感 (^_^;)
 

高幡不動尊・金剛寺へ

ゼロ戦 東京湾上空を飛行

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6月3、4日に千葉市美浜区の幕張海浜公園前の海上コースで開催される小型プロペラ機による「レッドブル・エアレース千葉2017」で、レースの合間にゼロ戦が飛行する。実行委員会が9日発表した。当時の日本の航空技術の粋を集めた名機が、約70年ぶりに東京湾の上空を舞う。
実行委によると、飛行するゼロ戦は1942年に三菱重工業が製造し、最高時速540キロにも達する「零式艦上戦闘機二二型」。南太平洋のパプアニューギニアで見つかった残骸から復元した。レプリカを除き現存する4機のうち、飛行できる貴重な1機だという。
日本人パイロットが操縦する予定で、レースの合間のスペシャル・サイドアクトとして飛行する。実行委は「かつて日本が誇った技術を見直し、社会全体がさらなる飛躍を遂げる機会になれば」としている。
同ゼロ戦は、ものづくりの国である日本の歴史を振り返り平和を願う「零戦里帰りプロジェクト」に取り組む日本人が所有。昨年1月には鹿児島・海上自衛隊鹿屋基地で、初めての試験飛行を行った。
「空のF1」と呼ばれるエアレースは世界各地で行われ、国内では3年連続で幕張で開催される。日本からは昨年の幕張大会で初優勝した室屋義秀選手(44)が参戦している。
今年は世界トップクラスのレースパイロット14人が、全8戦で総合優勝を競う。幕張大会は浦安市に造られる滑走路から小型機が飛び立ち、幕張の海上コースで速さと技術を競う。室屋選手は米・サンディエゴで行われた第2戦で優勝しており、第3戦幕張大会での連覇が期待される。
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日本人がデザインすると 飛行機でもクルマでも
何となく丸っこくて カワイくなりますね  (^_^;)

駆逐艦イノウエ

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調べたら 日系上院議員ダニエル・K・イノウエ氏は
すでに米海軍イージス駆逐艦の名前にもなっていました
ハワイには イノウエ小学校とかもあるそうです (^_^;)
続きを読む

イノウエ空港

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米ハワイ州のホノルル国際空港が5月1日に、2012年に死去した日系上院議員の名にちなみ、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に改名された。米メディアが報じた。
wor1705020036-p1日系上院議員イノウエ氏(左)は第二次大戦で米陸軍日系人部隊の一員として戦い、右腕を失った。
1962年に日系初の連邦上院議員に当選し、連続9期務めた。
大戦中の活躍を評価され、2000年には米最高位の名誉勲章を受章。
ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与していた。昨年、空港の改名が州議会で決議された。
米政界の重鎮だったイノウエ氏の名を冠する重要な建築物の候補が多数挙がったが、同州下院議員は「あのレベルの権威にふさわしいのは空港ということになった」と現地メディアに話した。
米国は軍艦にも個人名を付けますね (空母「ロナルドレーガン」とか)
日本人の名前は 何となく弱そうかな (空母「安倍晋三」とか) (^_^;)
 

戊辰戦争150年法要

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▲新選組隊士法要で祭文を読む宮川清蔵さん=3月18日、高幡不動尊

幕末に反幕派を取り締まるため京都で結成された新選組の局長近藤勇や副長土方歳三らの子孫が3月18日、ゆかりのある東京都日野市の高幡不動尊で法要を営んだ。
明治維新で新政府軍と新選組も加わった旧幕府軍が戦った戊辰戦争が、来年で開戦150年を迎えるのを前に、双方の戦死者を弔った。
近藤勇らは現在の東京・多摩地区出身で、高幡不動尊は土方家の菩提寺として知られる。
この日の法要では読経と焼香の後、近藤勇の兄の子孫である宮川清蔵さん(78)が代表し

「新選組は、一切の私心なく、大義を信じて戦った。

尊い命をささげた生涯と功績を後世に語り伝えることを誓う」

と祭文を読み上げた。
土方歳三の子孫の愛さん(45)は法要後に「敵味方関係なく供養できたのは感慨深い。新選組が現代まで語り継がれたのは、迷いのないまっすぐな生き方が評価されたのかもしれない」と話した。
WS000000迷いのない まっすぐな生き方
現代では なかなか難しいですねぇ
毎日 迷ってばっかりですよー (^_^;)

箱根登山鉄道


昭和32年にデビューし、60年間にわたって利用者に愛されてきた箱根登山鉄道(神奈川県)の車両「110号」が2月12日に引退する。
同鉄道ではさまざまなタイプの車両が投入されているが、丸いライトの外観と「ガタゴト」と音を立てながら箱根山の急勾配を登る姿に愛着を持つ古くからのファンも多く、引退を惜しむ声もあるが、いよいよ現役としての役割を終える。
還暦で引退 とゆー訳ですね  (^_^;)
 

安藤昇 死去

img_0-260x300 元「安藤組」組長で作家、俳優の安藤昇(あんどう・のぼる)さんが16日午後6時57分、肺炎のため東京都内で死去した。89歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。
安藤さんは大正15年、新宿生まれ。戦中は海軍の特攻隊員となり、復員後の昭和27年、愚連隊がもととなる安藤組を結成。
東京・渋谷を拠点に活動を始め、都会派のスマートなヤクザ(?)として有名になる。
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作家の安部譲二(→)も、中学生の頃から末端組員として安藤組に出入りしていた。
安藤組は、実業家の横井英樹(後に、火災を起こした「ホテルニュージャパン」の社長)を襲撃する事件を起こし、組長だった安藤さんは恐喝容疑で逮捕され、服役したこともあった。
出所した昭和39年に、安藤組を解散。
その後は映画界に転身、昭和40年に自伝を元にした「血と掟」で俳優デビュー。
50本以上の作品に出演したほか、映画プロデューサーとしても活躍した。
主な出演作に「網走番外地 吹雪の斗争」「昭和残侠伝 破れ傘」「新仁義なき戦い」など。
また作家としてエッセーなど多くの作品を発表した。
主な著書に「激動」「自伝 安藤昇」など。
特攻隊員→愚連隊→組長→横井襲撃→刑務所→俳優→作家
何ともド派手な人生を 太~く長~く 生きた男ですね  (^_^;)