土方歳三が現代の会社員なら。
波乱の時代を切り開いた幕末の英雄たちが、もしも現代のサラリーマンだったら、どう行動するだろうか?
そんなマンガが、NHKの「どーも、マンガです。」に登場した。
土方歳三、坂本龍馬、西郷隆盛など幕末の英雄たちが、現代の出版業界を舞台にそれぞれの信念を貫く、サラリーマン歴史ドラマだ。
幕末のジャニーズ系です (^_^;)
80【ヒストリー】
光るお蚕さま
長野県岡谷市の宮坂製糸所で、緑の蛍光色を発する繭の糸取りが行われている。
農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)が遺伝子組み換えにより開発した繭で、同社が技術を買われ、織物生産に向けた初の糸取りを託された。
出来上がった生糸は、京都市の西陣織業者がカーテンなどインテリア用の織物に仕上げる予定で、同機構は「実用化に向けた第一歩を踏み出せた」としている。
同機構は2008年、同年のノーベル化学賞受賞者、下村脩氏が発見したオワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の遺伝子を導入した蚕を開発。
繭は淡い緑で、発光ダイオード(LED)電球などの青い光を当てると鮮やかな緑の蛍光色を発する。通常の繭より小ぶりだが、生糸の強度は変わらないという。
同機構によると、今年10月に前橋市の養蚕農家が繭の大量生産に成功。
通常の糸取りは湯温65〜97度で繭を煮るが、この繭は70度を超えると色が抜けてしまう。
このため65度以下で煮る技術がある宮坂製糸所に糸取りを託した。
繭は11月に初出荷し、全量の計176・1キロを同社に供給。
来年1月末までに24キロ分の生糸を生産する。
同社などは11日、岡谷市立岡谷蚕糸博物館内にある工場で作業を公開。
高橋耕一専務(51)は「化学染料を使わない100%天然の絹織物にはニーズがあるはずだ。蚕糸業全体を盛り上げるきっかけにしたい」。
蚕を開発した同機構の飯塚哲也上級研究員(48)は「『お蚕さま』の可能性は着実に広がっていく」と普及への期待を話した。
製糸工場の女工さんって
今でもいるんだね (^_^;)
今年の漢字
「今年の漢字」が「北」と発表された。
京都市東山区の清水寺奥の院で、森清範貫主が特大の和紙に大筆で豪快に「北」の一字をしたためた。
「今年の漢字」は、日本漢字能力検定協会(同区)が毎年公募。
協会によると、今年は15万3千594票の応募があり、1位の「北」は7104票。
北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行などがその理由だという。
28年は「金」、27年は「安」だった。
「今年の漢字」は応募数が最多の一字が毎年選ばれており、阪神大震災やオウム真理教事件があった平成7(1995)年は「震」、北朝鮮拉致被害者5人が帰国した14(2002)年は「帰」だった。
「新」が選ばれたのは、政権交代で民主党政権が誕生した21年で、消費税率が引き上げられた26年は「税」。
また、リオデジャネイロ五輪に沸いた昨年の「金」は、12年のシドニー五輪、24年のロンドン五輪に続き3回目。
永世七冠
将棋の羽生善治棋聖が竜王戦の七番勝負を制して通算7期目となる竜王のタイトルを獲得し、永世竜王の資格を得ました。
これで現在7つある将棋の永世称号の資格をすべて獲得し、前人未到の「永世七冠」達成を果たしました。
将棋の永世称号は、同じタイトルを一定の回数、獲得した棋士に与えられ、羽生善治棋聖は現在7つある永世称号のうちすでに6つのタイトルで資格を得ていて、残る永世竜王も獲得条件となる通算7期まであと1期に迫っていました。
その永世竜王をかけて渡辺明二冠に挑む竜王戦の七番勝負は、ここまで羽生さんが3勝1敗とリードし、4日から鹿児島県指宿市で第5局が行われました。
渡辺さんは将棋界最高峰の竜王のタイトルを11期獲得してただ1人、永世竜王の資格を得ていて、羽生さんはこれまでにも2度、永世七冠をかけて渡辺さんとの竜王戦に挑みましたが、いずれも敗れていました。
対局は5日午前9時に再開され、羽生さんは優勢に駒を進めて渡辺さんの守りを崩し、午後4時23分、87手までで渡辺さんが投了しました。
羽生さんは竜王のタイトルを奪還するとともに永世竜王の資格を獲得し、7つの永世称号をすべて獲得するという前人未到の永世七冠達成を果たしました。
さらに、通算獲得タイトル数を99期として、同じく前人未到の大記録となる100期の大台に王手をかけました。
トレードマークの寝ぐせは
今でも健在のようです (^_^;)
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「終活」の一つの在り方
コマツの安崎暁元社長(80)が、がんにかかったことを公表し、お世話になった人に「感謝の会」への参加を呼び掛けた新聞広告が反響を呼んでいる。
延命治療を受けないことも明らかにし、インターネット上では人生の最期を考える「終活」の一つの在り方と受け止められている。
感謝の会は12月11日にコマツ本社近くのANAインターコンチネンタルホテル東京で開く。
大橋巨泉の生前葬が有名ですが
それの一種でしょうかね
延命治療に対する姿勢は 大いに参考になります (^_^;)
平等院鳳凰堂のライトアップ
まさに地上の極楽浄土 クリックすると拡大 (^_^;)
2017年11月18日から夜間特別拝観
昭和21年の日本
▲アーニーパイル劇場(東京宝塚劇場) この後も1993年の改築まで使われていた
▼改築された現在の東京宝塚劇場
モージャー氏撮影写真資料
デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション)
2008年、米国在住のモージャー(Robert V. Mosier)氏の親族からカラースライド(304枚)の寄贈を受けた。
当館においてデジタル化作業を行い、2017年、デジタルコレクションで公開した。
モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として、1946年4月から1947年1月に日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真。
全国各地の風景がカラー写真で記録されていて
当時の雰囲気が伝わって来ます (^_^;)
台湾人の歌舞伎町
【書評】『台湾人の歌舞伎町 新宿、もうひとつの戦後史』/稲葉佳子 青池憲司・著/紀伊國屋書店/1800円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
終戦直後の新宿歌舞伎町あたりは焼け野原だった、と話していたのは、故種村季弘さん(ドイツ文学者)である。
私が子どものころ、歌舞伎町は映画を見に行くところで、帰りにロシア料理店に寄るのが楽しみだった。
父に連れられて何度か行った沖縄料理屋「南風」は女優の嘉手納清美の実家だと知られていて、在京沖縄人が集う店だった。
この歌舞伎町がかつて野原だったとは想像もつかなかったが、たしかに昔の歌舞伎町には「新開地」の雰囲気が残っていた。
戦前は小さな商家や住宅が混在し、高等女学校があった旧角筈一丁目北町だが、空襲により空白地帯となった。
終戦後、この一帯を興行街にする計画が立ち上がる。
歌舞伎劇場の建設が予定され、町名も「歌舞伎町」に変更された。
結局、歌舞伎劇場建設は頓挫したものの、映画館や娯楽施設がつくられ、その周辺に個性的な飲食店が誕生していった。
こうした歌舞伎町の発展には台湾人の活躍があったことを本書は明らかにしていく。
名曲喫茶「スカラ座」や「らんぶる」、そして「風林会館」や「アシベ会館」などの創業者は台湾人であったことに私は驚いた。
著者は丁寧な聞き取りと資料調査を重ね、ドラマに満ちた「もうひとつの歌舞伎町史」を描きだす。
台湾人創業者の多くは、戦前から日本に「内地留学」していた若者たちだ。
日本統治下にあった台湾から留学をすることができた彼らは、富裕な家に生まれたインテリ青年だが、終戦により裸一貫となってしまう。
台湾の政治状況も混乱をきわめており、日本にとどまらざるを得なくなった彼らは、まず新宿西口の闇市マーケットで商売を始めるのだが、やがて閉鎖されてしまう。
そこで、新しく生まれたまち歌舞伎町に活路を見出していったのだ。
台湾人華僑のネットワークや金融組織なども興味深いが、彼らのビジネス哲学は利益を求めるだけではなく、人が集う場としての魅力、広い意味でのまちの文化をつくろうとした気概を感じる。
※週刊ポスト2017年11月3日号
らんぶる創業者が台湾人とは
知りませんでした (^_^;)
ネコ電車
東京急行電鉄は9月25日、世田谷線で招き猫のイラストをラッピングした電車の運行を始めた。
沿線の名所で「招き猫発祥の地」とされる豪徳寺(東京都世田谷区)にちなんだ。
車内のつり革も、持ち手に耳と手を付けて招き猫の形にしたほか、床に猫の足跡を描くなど、猫ずくめになっている。
来年3月末までの予定。
世田谷線の前身玉川線が開業110年を迎えたのを記念して企画した。
豪徳寺は彦根藩主、井伊家の菩提寺として知られ、2代藩主の井伊直孝が猫に手招きされて境内に入ったことで雷を避けられたという言い伝えがある。
多くの招き猫が奉納され、外国人観光客にも人気だという。
豪徳寺の粕川徹哉副住職は「乗客や沿線の人たちに幸せを運んでくれる電車になってほしい」と話した。
玉川線は1907(明治40)年3月、道玄坂上~三軒茶屋駅間を結ぶ単線として敷設され、同年4月に三軒茶屋~玉川駅間、8月に渋谷~道玄坂上駅間が開通した。
1925(大正14)年には、玉川線の支線として三軒茶屋~下高井戸駅間が開通。
1969(昭和44)年5月に玉川線が廃止されたことで、三軒茶屋~下高井戸駅間は世田谷線と改称された。
招き猫の耳の中は 赤いんですね
電車の前面にも 耳を付けて欲しい (^_^;)
ひかりの輪
オウム真理教から名前を変えた「アレフ」(オウム真理教・麻原彰晃=松本智津夫派)と、そこから分裂した「ひかりの輪」(オウム真理教・上祐史浩派)が、団体規制法に基づく観察処分で活動が制約されているのは不当だと訴えた裁判で、東京地方裁判所はアレフの訴えを退けました。
一方、ひかりの輪については、「死刑囚・麻原彰晃=松本智津夫に対する絶対的な帰依が否定され、アレフとは性格が異なる」として観察処分を取り消す判決を言い渡しました。
あー言えば じょーゆー
まだ生きてたんだー (;´Д`)