今日も良い天気で、東山をプラプラ散策です
清水寺、高台寺、八坂神社、知恩院など、すでに何度も歩いた道ですが、やはり紅葉シーズンは別格
(^_^)
今日も良い天気で、東山をプラプラ散策です
清水寺、高台寺、八坂神社、知恩院など、すでに何度も歩いた道ですが、やはり紅葉シーズンは別格
(^_^)
岡山から京都へ戻り、東山の永観堂で紅葉のライトアップを鑑賞しました
またしても、息を飲むような美しさ!
夜の紅葉の美しさは、写真に捉えきれないのが残念です
京都で一番の紅葉ライトアップを調べたら、永観堂だったのですが、評判に違わぬ美しさでした
メチャ混んでいるかと思ったら、意外に空いてましたよ
(^_^)
秋の紅葉を楽しもうと思って
京都を中心に、西日本を旅しています
上の写真は、嵯峨嵐山の近く、保津峡の紅葉です
息を飲む様な美しい紅葉が広がっているのですが、
観ているのは私一人で、貸し切り状態
申し訳ないような気分です
(^o^;)
「号外なんて大げさな!」なんて言うなかれ
出身地の阿波徳島では「郷土の偉人」です
ご自身も「寂聴連」をつくって踊ってました
「好きなことをやり尽くした人生!」のように見えて
はたから見てると、まことにうらやましい大往生
本当の心の中は、本人以外には分かりませんけど
(^_^;)
▲阿波踊りに参加した寂聴連
▲寂聴さんの出家得度には、作家の今東光氏が深く関わっている
私が17~18歳の青春時代には、街のいい男はみんな戦争に取られて、年頃の女を相手する男はいなかったんですよ。
それを「トラック1杯の女に男が1人」というふうに言ってね。
女が留守を守っていたんだから、男を頼りにする未来なんていうのを考えもしませんでしたね。
男がいないんだから、男の留守にお嫁さんが舅と仲良くなったり、いまで言う女性の不倫みたいなことも、たくさんあったんですよ。
それをみんながけしからんなんて責め立てたけど、いま考えたら、無理もないことですよね。
彼らのせいではなく、戦争している国家が悪いのよね。
1957年に『花芯』を発表した時は、「子宮作家」と呼ばれて、随分叩かれましたけどね。
平気でしたよ。問題にしなかった。
ひどいことをいろいろ言われたり、されたり、そんなのをいちいち相手にしてたら、書くことなんてできませんから。
いまとなっては、もう昔々のことでね。
よくまぁ、がんばってきたなと思いますけど。
ここ最近になって作品が受け入れられるようになったというのは、私の考え方が世の中より少し進んでいたのよね。
周りがついてこられなかったんですよ。
かつては男女間のタブーがあっても、それに目をつぶって綺麗ごとを書くのがよしとされていたでしょう?
当時は、社会を変えたいとか、そんな大層なことは考えていなかった。
私はただ、ありのまま、本当のことを書いただけだったのね。
道に外れたことをする男や女は、やっつけられるんです。
▲高輪築堤(たかなわちくてい)
石に白い札のようなものが貼ってあるのは
正確に移築するために、石に番号をふっているのか
鉄道は軍事物資の輸送に重要な役割を果たすのに
明治の初めには、軍が鉄道建設の邪魔をしていた!
なんだか牧歌的な時代精神を感じます
(^_^;)
1872(明治5)年の鉄道創建時に東京湾の浅瀬に築かれ、現在のJR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側で見つかった「高輪築堤」が、来春にも佐賀市の佐賀城公園で部分的に復元される。
築堤建設を決めた旧佐賀藩出身の大隈重信(→)の没後100年の記念事業として、佐賀県が乗り出した。
築堤の石約400個を東京から西に900キロ離れた大隈ゆかりの佐賀市に運び、鉄道開業150周年も併せて祝う。
高輪築堤は、新橋~横浜間の鉄道開業に合わせて、現・田町駅付近から品川駅付近まで約2700mにわたり建設された。
佐賀城本丸歴史館(佐賀市)などによると、当時の兵部省(後の陸軍省と海軍省)の反対で付近の陸地に鉄道線路を通すことが出来ず、鉄道建設の責任者だった大隈重信らの判断で、海上建設に踏み切ったという。
当時は品川駅も海岸にあり、海岸から築堤を見て
「海の上を走る陸蒸気」
として観光名所にもなった。
▲東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図 明治4年(1871)頃
実は明治4年、まだ鉄道は出来ておらず
これらの絵は、海外の資料をもとに想像で描いたらしい
そのせいか、変な形をしている (^_^;)
▲現在の田町付近を新橋方面へ走る貨物列車
1906(明治39)年頃、、左下は海
その後築堤は、付近の埋め立てで姿を消したが、JR東日本による品川駅周辺の大規模再開発に伴い、約800mが最近出土した。
このうち、国史跡に指定された120m分は保存されるものの、ほかは記録後に解体される。
そこで
「築堤の石垣から外された石の有効活用を」
と佐賀県が移築に名乗りを上げた。
奈良の鹿は、人間にナツキ過ぎて
やや野性味を失ってますが
その代わりに、人間界のルールを
身につけているようです
(^_^;)
動画を見た外国人の反応
・素晴らしい、日本の鹿は信号の色の意味を理解しているようだ。
・横断歩道を渡れる場所と理解しているだけでも凄い。
・動画を見ている最中、絶対に飛び出してはねられると思ったのに・・・
・私の国だと鹿は突然道路に飛び出してくるものだ。
そしてそれを避けようとして事故る人もいたりする。
・私の国でも高速道路の脇で毎日死んだ鹿を見かけるよ。
でも日本の鹿は交通ルールを守ってるなんて。
・日本は動物も交通ルールを守るんだね。
本当にリスペクトするよ。
・超凄い!
・Wow、なんて興味深い映像なんだ!
・This is a Japanese style.
・クソ笑ったよ。
日本の鹿は道路の渡り方まで理解してるなんて。
・この鹿はもう明らかに進化してると思う!
・アメリカの鹿は一体どうすれば日本の鹿のようになれるのか!?
・このような動物でさえ交通ルールを守ることができるなんて、もはや一部の人間よりも優秀じゃないか。
・私もこのような国に生まれたかった・・・
・日本の鹿は交通事故で死なないように交通ルールを守ってるんだね。
・このまま行けば日本の鹿は2030年には選挙権を手にするかもな。
「独身男は早死にする」
とは昔からよく言われてますが
このように統計でハッキリ出ると
やはりショッキングですね
しかも「独身女は長生きする」なんですよ!
まあこれは、因果関係が逆で
長生きしたのでダンナが先に死んで独身になった
ということかもしれませんけど
((((;゚д゚))))
令和2年版(2020年の集計)の人口動態調査によると、男性は未婚者が最も死亡ピーク年齢が早く、中央値(累積%=50)が含まれる階級は65 – 69歳。
比例配分により死亡年齢の中央値を求めると67.20歳となります。
一方、有配偶男性の死亡年齢の中央値を同様に計算すると81.64歳。
比較すると14歳の差があります。
独身男は長生きしないとされるゆえんです。
ちなみに、女性ではこれが逆転し、未婚者の死亡年齢の中央値は81.64歳、有配偶者が78.65歳となります。
永井荷風(←)は、ポリシーとして独身生活を貫き通し
その最後は、まさに右上のイラストのようでした
でも女遊びはやりたい放題、亡くなったのは79歳ですから
当時(1959年)としては、かなりの長生きでした
(^_^;)
凪ちゃん@一時預かりさん宅
ベッドの下にいた凪ちゃんが出てくるようにちゅーるを置いたら… pic.twitter.com/iuG19xBt1Y— ジル🐾 (@xoxo_jillk) October 30, 2021
大好きなちゅーるに
思わず手が出るおにゃんこ
こんな貯金箱
ありましたね~
(^_^;)
ひとり焼肉のお店に入ったら
「焼肉ライク」にそっくりでした
注文方法が変わっていて
客のスマホを使って注文します
(^_^;)
▼徹底的に省力化がはかられています
▼この伝票のQRコードを読み込むと、自分のスマホから注文できます
▼タレの容器が牛丼の松屋に似てますね(同じ系列かな)
東京の三田(慶応大学のすぐ近く)の
あるお寺の掲示板です
うまいこと言うもんだなぁ
(^_^;)