若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)
若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)
こんなことってあるんだね
いい話だなぁ~
(^_^;)
実家で飼ってた猫が、外から友達を連れてくる様になった
真っ黒いうちのヤツと真っ白な友達がじゃれたり、遊んだり、
並んでご飯食べたりしてる光景はなかなか和めた
でもその白いの、なにげに毛並みもいい感じだし、そもそも
首輪付けてるしってんで、これは野良では無いと思った俺は、
白猫の飼主に届く様にその首輪に手紙をくくりつけた
文章はどう書いたか忘れたけど、まあこんな感じの内容
「可愛い白猫が遊びに来てくれて家の者が癒されてます」
「うちで○○というエサを食べて帰りました」
「うちのが遊びにいって粗相をしてたらゴメンナサイ」
しばらくして、今度は外から帰ってきたうちのヤツの首輪に、
こんな感じの手紙がくくりつけられていた
「素敵な黒猫さん、お行儀がよいので大丈夫です」
「うちであげてるご飯と好みが一緒ですね」
オマエ外ではお行儀良いの?借りてきた猫とはまさにこの事?
とか、猫と遊びながら読んだ手紙が俺と嫁さんの最初の会話
その後、動物病院で初対面して一目惚れ
奈良公園名物のシカさんたちです
カワイイですね
シカさんに危害を加える人間がいないので、安心しきっているようです
逆に、シカせんべいをあげるのが遅い人間には、「早くくれ!」と頭突きしたりするシカさんもいるそうです
奈良公園のシカは小さくてカワイイですけど、北海道で見たエゾシカ(→)は非常に大きくて、近くで見ると怖いです
道東(北海道の東側)では、道路を横断するエゾシカの群れを何度も見ました
うっかりクルマでエゾシカに衝突すると、シカもケガをしますけど、クルマも大破して廃車になります
それほどエゾシカは大きいんです
古代史の本を読むと、縄文時代の日本列島には、シカとイノシシがいっぱいいました
まだ農業(イネの栽培)が始まっていないので、木の実を拾ったり、海岸で貝を拾ったり、海や川で魚を釣ったりしながら、ときどき狩猟で獲れたシカやイノシシの肉を食べていたそうです
日本史を長期的に見ると、縄文時代の食生活が非常に豊かで、それからだんだん貧しくなって、江戸時代に最悪となり、明治になってかなり過ぎてから、やっと縄文時代の水準を超えました
江戸時代は、貧富の格差や、都会と田舎の格差が非常に大きくなっていて、東北の農村が飢饉で餓死者が出ていた同じころ、江戸ではグルメブームが起きて、どこのお店が美味しいとか書いたグルメ本がベストセラーになっていたそうです
((((;゚д゚))))
中国コロナで観光客が減ったために、もらえるシカせんべいが少なくなって
かわいそうに、ヤセてしまったシカさんもいるそうです (T_T)
▲「夜が来る」 作曲:小林亜星
見た目は相撲部屋の親方みたいでしたけど
作曲家としては超一流!
多くの名曲を残してくださいました
(T_T)
「この木なんの木」の歌い出しで知られるCMソングや、都はるみさんの「北の宿から」などを手がけた作曲家で、俳優としても活躍した小林亜星さんが5/30に心不全のため亡くなりました。
88歳でした。
小林さんは東京都の出身で、大学時代にジャズバンドで活動し、卒業後に本格的に作曲を学びました。
テレビコマーシャルの黎明期だった頃に、CMソング「ワンサカ娘」を手がけ注目を集め、その後も「この木なんの木」の歌いだしで知られるCMソングのほか、「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」などのアニメの主題歌を手がけ、軽快な音楽で人気を集めました。
また、昭和51年には都はるみさんが歌った「北の宿から」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞しました。
俳優やタレントとしても活躍し、向田邦子さんが脚本を担当した昭和49年のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で頑固な父親の役を演じて人気を集めたほか、平成14年にはNHKの連続テレビ小説「さくら」で主人公の祖父の役を演じました。
とても人間ワザとは思えません
まさに神ワザです!
(^_^;)
脱力感いっぱいのパンダ
カワイイなぁ~
キュンキュンします
(^_^;)
▲殺人犯・宅間守 出刃包丁で子ども8人を刺し殺した
2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
虐殺された子供たちは、事件が無ければ、今27歳くらい
吐き気のするような虐殺事件ですが
この種の凶悪犯罪を予防することは
現在でもほとんど不可能です
((((;゚д゚))))
大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、出刃包丁を持った男1名(被告人:宅間守)が、平成13年6月8日(金)の2時間目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入した。
校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した。
平成13年9月14日大阪地方検察庁は、被告人を殺人、殺人未遂、建造物侵入及び銃刀法違反で、大阪地方裁判所に起訴した。
【死亡者】 8名[1年男子児童1名 2年女子児童7名]
負傷者 15名[児童13名(男子5名 女子8名) 教員2名]
平成13年6月8日午前10時過ぎころ、犯人は自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。
2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。
犯人は、10時10分過ぎころ、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し死に至らしめた。
犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て東に隣接する2年西組の教室に向かい、10時15分ころテラス側出入口から同教室に入った。
当時2年西組では、児童全員前を向いて座り、担任教員は犯人の侵入方向に向いて教卓の席に着いていた。
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は気付かなかった。 犯人は侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
犯人に気付いた、2年西組の担任教員は、悲鳴をあげ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、利用を停止した。その後、同教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をせず、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走った。
途中、同教員は、廊下で倒れて苦しんでいる児童(この2年南組児童は他の教員がかかわるまで約6分間放置の状態であり、その後死亡した。)を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分(警察より確認済み)、110番に通報した。
同教員は、事務室にて110番に通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に時間がかかった(約8分間)。そのため、警察からの救急車の依頼が遅くなり、警察が、救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、犯人は逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で5名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、犯人は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かい、10時15分過ぎころ、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し又は切り付けた。
犯人は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられたことから、テラス側出入口に向かって逃げたが、その途中で教室後方にいた児童1名と、さらに同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
犯人は、教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、犯人は2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分ころ、犯人は、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声かけできておらず、避難誘導が行われなかった。
犯人は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名を死に至らしめた。さらに、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆けつけた2年南組の担任教員に背後から出刃包丁を持っている右腕をつかまれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
犯人は、10時20分ころ、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
犯人を取り押さえてから犯人確保までの間、学校全体としての状況把握と組織的な対処行動ができなかった。死亡した8名の児童は即死ではなく、救命活動の遅れが死因に直結する失血死である。児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置が行えず、被害を最小限にくい止めることができなかった。
負傷児童の氏名、場所、人数、負傷の程度の確認など、学校全体としての状況把握ができず、救急車に付き添うよう申し出た教員もいたが、管理職や教務主任は、混乱の中で事件の全容をつかめず、20分前後も放置され既に致死的な状態になっている負傷児童の搬送に、ほとんどの教員が付き添うことができず、また、保護者への児童の搬送先病院の連絡が大きく遅れてしまった。
そのため、事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことができず、自力で探し回った病院で既に死亡した我が子と対面することとなった。また、事件後において、学校からの説明や弔問が遅れ、教員の心ない表現、発言、行動が遺族の心を大きく傷つけた。
(注)事件の経過については、『平成13年12月27日、宅間守被告人の初公判における「冒頭陳述」(大阪地方検察庁作成)』、『平成13年11月8日付け、大阪教育大学教育学部附属池田小学校長作成「I.学校の教育責任に関する反省点(事件後5ヶ月時点)」及び「II.事件の経過および教職員の行動と課題」』からの引用又は要約したものである。
宅間守は、1963年11月23日に生まれ、2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
宅間守は中学校時代、好意を抱いていた女子生徒の弁当に自分の精液を掛けた
宅間守は自衛隊に所属していた頃、家出少女を下宿に招き入れ性行為に及んだ為、航空自衛隊を除隊させられている
宅間守が最後の児童を刺した直後に呟いた言葉は「あーしんど!」である
宅間守には兄がいたが、弟が池田小学校で事件を起こす遥か前に、弟の破綻した行動に心を痛め、小刀で自分の首を突き刺し自殺している
宅間守は裁判の証言の中で、「小学校ではなく、保育園か幼稚園にしとけば、もっと殺せた」という言葉を発している
虐殺犯人 習近平 380万人虐殺
自国の武漢研究所に命じて、コロナウイルスに遺伝子操作を加えた「コロナ生物兵器」を製造させた
さらにこれを武漢研究所の外部にバラまき、世界中に感染を広げて、すでに380万人を虐殺した
現在も地球上で善良な人々を、毎日1万人、虐殺し続けている
広い世界には
投票するのも命がけ
という国も少なくありません
((((;゚д゚))))
中間選挙の投票が行われた6/6、メキシコ北部バハカリフォルニア州の投票ブースで人間の遺体の一部が見つかった。
メキシコ北部バハカリフォルニア州の司法当局報道官によると、犯罪捜査班が遺体の身元を調べている。
メキシコでは、中間選挙の選挙期間中に、かつてないほどの流血が相次ぎ、投票日の治安も懸念されていた。
メキシコ西部シナロア州では同日、複数の投票所が武装集団の脅威により、終了時刻の前倒しを余儀なくされた。
具体的には投票箱の強奪や、選挙職員らに対する暴力が報告された。
選挙戦が始まってから、政治家96人が殺害された。
メキシコ中部グアナフアト州では、投票日の12日前、市長選の候補者が集会の最中に銃で撃たれ死亡した。
メキシコ北部ソノラ州では、5/13、ビラ配布中の市長候補が白昼、銃撃を受けて死亡した。
メキシコ大統領ロペスオブラドールは「銃撃ではなくハグを」との公約を掲げて就任したが、国内の暴力は抑制できていない。
左上(↑)の本物は よく出来てますね~
もっとリアリティを追求したい人は
左(←)のようなキャリーに 生きたネコを入れて
しょって歩くといいです
(^_^;)
人気の猫型リュックを装った詐欺(サギ)通販が物議を醸しています。
広告に載っている写真は、本物の猫を背負っているかのような迫真のクオリティーですが、実はこれ、ある作家の作品写真を盗用したもの。
購入者には、見本とは似ても似つかぬ右側の品が届きます。
いかにも中国で粗製乱造したような、安物感丸出し!
▲殺害現場となった、立川駅近くのHOTEL CITY(ホテル シティ)
この種の通り魔的な殺人は、物とりや怨恨といった伝統的な動機とは異なるので、「動機なき殺人」と呼ばれることもありますが、実は殺害動機は有り過ぎるほど有る!とも言えそうです
死体や殺人で性的興奮を感じるというのが、この種の犯人たちに共通の殺害動機です
余りにもオゾマしいので余り報道はされませんが、殺人を犯した犯人が死体とたわむれながら性的興奮の極みに達し、射精に至るという場合も少なくありません
よく「愉快犯」などとも呼ばれますが、「殺してやったぜ、キャッハー!」というような、牧歌的な世界ではなく、犯人は人を殺すことによって、あるいは自分が殺した死体とたわむれることによって、全身を貫くような快感(絶頂感)を味わっているようなのです
これはDNAレベル(遺伝)であることが多く、残念ながら矯正の可能性は極めて低いです
そして今回の犯人は19歳ですから、少年法に守られて極刑を免れ、おそらく数年で社会復帰します
そしてまた同じ犯罪(殺人)を繰り返す可能性があります
この種の犯人に「殺人をやめろ!」と言うのは、同性愛の人に「異性を愛せ!」(あるいは、異性愛の人に「同性を愛せ!」)と言うようなものです
前者は社会に重大な迷惑を及ぼし、後者はそうではないという、法的には重大な違いがありますが、深層心理の性的欲求メカニズムは、よく似ているように思えます
もしあなたが、ごくふつうの異性愛の人なら、「異性愛をやめて、同性を愛せ!」と言われた時、どう感じるでしょうか?
異性愛や同性愛にも性的欲求の個人差(強弱)があるように、死体愛(殺人愛)にも性的欲求の個人差があるように思えます
死体愛(殺人愛)の性的欲求があるけれど弱い人は、理性で制御(コントロール)して実行には及びません
いわゆるサディズム傾向のある人には、そのようなタイプの人が多いのかもしれません
しかし少数ながら、そうではない人(理性で制御できない人)も確実に存在しているようです
DNAレベルの強烈な性的欲求ですから、理性で簡単に制御できるようなものではないので、本人にもどうしようもないのでしょう
このような不幸なDNAで生まれてきた哀れな人を、法で「罰する」ことの妥当性には議論が必要ですが、社会から「隔離する」ことの必要性には異論が無いと思います
問題なのは、殺害動機がDNAレベルかどうかの確定的な判断が難しい(ほとんど不可能!)ということです
たぶんDNAレベルだろうという程度なら誰でも言えますが、刑事裁判の判決として合理的に確定させるのは、今のところ、まず無理なのではないでしょうか?
無理ならば、現行少年法に従って数年後には社会に解き放ち、次の犠牲者が殺されるのを待つ!ということになります
この種の犯人には、虫や小動物を殺すことを異常に好むという「前兆」があるのですが、これだけで逮捕したり社会から隔離するのは、非常に困難です
人間存在の根元に関わる「心の闇」であり、「神のみぞ知る」の世界です
恐ろしいことです・・・
((((;゚д゚))))
東京都立川市のホテルで6/1午後、男女が刺され死傷した事件。
男性(25)の腹部を包丁で刺し殺害しようとして、殺人未遂容疑で逮捕されたあきる野市の少年(19)が
「人を殺す動画を見て刺激を受け
無理心中を撮影しようと思ったが
女性に断られ、けんかになった」
と供述し、女性殺害もほのめかしていることが6/2、捜査関係者への取材で分かった。
警視庁立川署捜査本部は、経緯や供述内容を慎重に調べている。
女性は相模原市在住。
司法解剖の結果、死因は失血死で、刺し傷は約70カ所に上った。
胸の傷は深さ約18センチで、心臓を貫通していた。