大分県竹田氏にある豊後岡城の歴史をまとめたマンガ
源義経が活躍したころから明治維新に至る、岡城の歴史をうまくまとめてある
岡城は、難攻不落の名城として有名だったが、明治維新で一時幕府方に付いた藩が明治新政府への恭順を示すために破壊され荒れ果てた
今は石垣だけが残っている
この竹田市で幼少期を過ごした滝廉太郎は、破壊された岡城をイメージして名曲「荒城の月」を作曲した
なお土井晩翠は仙台の青葉城をイメージして作詞したそうなので、九州と東北のコラボですね
(T_T)
大分県竹田氏にある豊後岡城の歴史をまとめたマンガ
源義経が活躍したころから明治維新に至る、岡城の歴史をうまくまとめてある
岡城は、難攻不落の名城として有名だったが、明治維新で一時幕府方に付いた藩が明治新政府への恭順を示すために破壊され荒れ果てた
今は石垣だけが残っている
この竹田市で幼少期を過ごした滝廉太郎は、破壊された岡城をイメージして名曲「荒城の月」を作曲した
なお土井晩翠は仙台の青葉城をイメージして作詞したそうなので、九州と東北のコラボですね
(T_T)

大阪の気取らないところは好きだけど
「都」と呼ぶには 都会的洗練が
少々足りないような気がするんだよね
(^_^;)
吉村大阪知事(→)は9/23に記者会見を開き、
10/11に住民投票
とした。
松井市長も、
行政改革の一環としての二重構造の解消、行政の効率化が目的とし
問題は「都」という名称なのだ。
「都」とは「みやび」(雅び、宮
だ
そうした歴史認識が欠如していることが最大の問題なのである
ただし吉村知事はすこしニュアンスを変えて「副首都」を目指すと
七世紀から八世紀にかけて、大阪の谷町から森ノ宮にかけて、宏大
しかも戦後に発掘してみれば、難波宮跡地は日
遷都が頻繁に行われた七世紀から八世紀の飛鳥、奈良時代を一覧す
667 近江大津京(天智天皇)
672 浄御原宮 (天武天皇)
694 藤原京 (持統天皇)
710 平城京 (元明天皇)
784 長岡京 (桓武天皇)
794 平安京 (桓武天皇)
大津に都があったことをすっぽり忘れている向きも多いと思われる
現在の歴史学では近江大津京と呼んでいる。
近江大津京は天智天皇が即位した場所だが、わずか五年間の首都だ
遷都理由は白村江の戦い(663年)に敗れたため、
交通至便で優位
この遷都は大化の改新から十八
しかし近江大津京は短命に終わった。
最大の理由は九州の大宰府に水城や山城を構築したこと。
これらの造営費用が膨大だったため首
最初から臨時の皇居という印象だった。
そのうえ守旧派(飛鳥派)が反対、妨害があった。
天智天皇崩御の
ところで、近江神宮は天智天皇が祭神である。
京阪電鉄の近江神宮駅から七、八分ほど歩くとこんもりとして森が
昭和十五年、近
小倉百人一首の第一首は天智天皇、いまでは近江大津宮のことより
日本で最初に時計を取り入れたのも
その「遅刻」(水時計)が境内にある。
近年、
ちなみに小倉百人一首の第一番、天地天応の御製は、
あきのたの かりほのいほの とまをあらみ
わがころもでは つゆにぬれつつ
(秋の田の仮小屋に泊まると、屋根の苫(とま)の目が荒く、
冷た
壬申の乱で勝利した天武天皇(大海皇子)は飛鳥に戻り、浄御原宮
近江京の宮殿の主柱や仏殿、内裏正殿などを移設した
天武天皇と持統天皇は夫婦である。
この天武天皇と持統天皇の18
天武天皇の崩御後、
さて難波宮のことである。
歴史教科書には難波京のことを載せていないのである。
長らく「ま
「なんば」は難波であり、船場(せんば)、水の都。
堂島、中之島
つまり、大阪は首
水運の発達は当然だが、当該地区を治める豪族の顔役がいる。
縄文
周囲は縄文時代から開けていたことは確実であり、森ノ宮から縄文
石山本願寺、大阪城の敷地は難波宮
戦後、本格的な発掘が始まり、 昭和32年に回廊を発見、天皇宮室と判明した。
いま「難波宮史跡
難波宮跡の北側はNHKや大阪市歴史博物館があって、これ
それゆえ難波宮は「まぼろしの首都」ではなかった。
実質として難
この時から元号は「大化」となり、大化の改新の刷新政治は、難波
ただし何回も火災に遭遇して、そのたびに仮御所
すなわち難波宮は副都だったのだ。
だから正式な首都ではなく、教
副都は世界史で珍しくなく、清朝では紫禁城に加え、清朝皇帝は夏
エカテリーナ女帝はサンクトペテルブルグ郊外に
いずれにしても、現在の行革の一環として提言されている「大阪都
(宮崎正弘の国際情勢解題より)
小室圭にも多少の違和感はありますが、最大の問題は母親の小室佳代でしょう
このオバサン、危ない新興宗教の教祖みたいな、変なオーラを出しまくってる
何とも言えぬ不気味な感じがして、こんな人が将来、陛下の親戚になるのは、日本国民の一人として絶対に避けたいです!
それにしても女性の存在感があり過ぎて、男性(陛下、秋篠宮、小室圭)の影が薄すぎる~
((((;゚д゚))))
「今年に入り、愛子さまと佳子さまが共にランニングをされている光景をよく目にするようになりました。
お二人は女性皇族方のなかでも大の仲良しで知られています。
新型コロナの影響で遅れてはいるものの、皇居の改修工事が終わり次第、愛子さまは赤坂御用地から引っ越されます。このように気軽に会える時間も残り少なくなってきました。
名残惜しさを噛み締めながらランニングされているものと拝察いたします」(赤坂御用地関係者)
一方、眞子さまの姿を見る機会は少ないのだが、先日は珍しく三内親王で御用地内を散歩していたという。
「過日、めずらしく眞子さまがご自宅から出てきまして、愛子さま佳子さまと三人で、とても仲睦まじそうに御用地を散策しておられました。三内親王が気兼ねなく集まれるのもあと少しかと思うと、心を突くものがります。
ですが途中、佳子さまが突然、眞子さまと愛子さまを引き離すかのように間に割ってはいりました。
その後、眞子さまは足早にご自宅に…。
遠くからだったため何が起きたのかはわかりませんが、ただならぬ気配を感じました」(同前、赤坂御用地関係者)
はたして何が起きたのであろうか?
三内親王のあいだで起きたトラブル。
その真相を解き明かすカギを、秋篠宮家のオクに通じる関係者は教えてくれた。
「眞子さまと佳子さまが口論されているときがありました。
佳子さまは
『あの件で、愛子ちゃんと雅子さまは関係ないでしょ?』
『巻き込むのはおかしい!』
『秋篠宮家の恥を広めないで!』
と大変強い口調で仰っていました。
話を総合するに、膠着状態にある眞子さまの結婚問題について、雅子さまからの後押しが欲しいことを、眞子さまが愛子さまを通じて依頼されたのではないでしょうか?
つまり、雅子さまから結婚許可を公にして欲しいと、愛子さまを通じて依頼したのでしょう」(秋篠宮家関係者)
思えば眞子さまと小室圭さんの結婚に“ご裁可”を与えたのは、上皇ご夫妻であり、御代替わりとともに“ご裁可”も無効になったとの見方も強い。
今回の動きについて、元宮内庁職員の小内誠一さんに話を伺った。
「ご裁可そのものがハウスルールなので、何か法的拘束力があるわけではありません。
ですが、皇室内において“ご裁可”は決定的な意味を持ちます。
これまで“ご裁可”が覆った例もありますが、先代が下したものを、次代が取り消した先例はありません。
眞子さまとしては、先代のご裁可の効力が今も続いていることを明確にするために、愛子さまや雅子さまに近づき、新たに“ご裁可”を下していただきたいと懇願したとしても奇異なことではないでしょう。
なにより今月11日に紀子さまが54歳の誕生日にあわせて発表した文書では
『長女(眞子さま)の気持ちを
できるだけ尊重したい』
と親の情を滲ませましたが、『できるだけ』という5文字が入っています。
現状でそのまま両親が結婚をお認めになる可能性は低い。
なので、やはり天皇家の後押しが欲しいというのが眞子さまの本音でしょう」(小内誠一さん)
はたして眞子さまの依頼を受け、今上陛下や雅子さまが何らかのコメントを発表する可能性はあるのだろうか?
さる宮内庁関係者は次のように断言する。
「天皇陛下も雅子さまも“大人”です。
秋篠宮家が結婚を強行されれば、何らかの形で祝辞は述べられるでしょう。
ですが、眞子さまの“お気持ち発表”よりも前に、何かコメントを発せられることはないでしょう」(宮内庁幹部)
これも古い(1969年発行)旅ガイドで、写真が高度成長期前の日本を写している
博多周辺には遺跡が多いので、古代史好きには楽しい
長崎はオランダ貿易で栄えた開放的な街だが、江戸幕府の天領で、しかも幕府が仁政をほどこしたので、享楽的な文化が栄えた
すぐ近くなのに、島原半島はキリシタンへの残酷な弾圧や、藩主による苛斂誅求で、まことに気の毒な歴史
佐賀は、鍋島藩による鎖国ならぬ「鎖藩」で半独立国だったせいもあり、非常に閉鎖的で、葉隠のような一種独特の文化を生んだ
葉隠が面白いのは、必要なら主君のために死ねと言いつつ、必要が無ければ人生は短いのだから、好きなことをして過ごせと言っているギャップ
しかも自分(山本常朝)は寝るのが好きだから、ひたすら寝て過ごすと言っている(猫みたい)
10/1から都民もGOTOが使えるようになるので、どこかへ行こうか考え中
(^_^;)
藤井聡太二冠の年収はすでに数千万円
そのうち億単位で稼ぐようになったら
個人専用スーパーコンピュータを持つかもね
(^_^;)
秋葉原にある日本最大規模のパソコンショップ「ツクモ」の店員は驚きを隠さない。

「大学などの研究機関や、
動画編集を業務とする企業が使うようなパーツです。
一般の家電量販店ではまず取り扱っておらず、
ウチのような専門店じゃないと手に入らない。
ましてや藤井聡太さんのように
将棋ソフトのために購入した人は見たことがない」
将棋界で快進撃を続ける藤井聡太二冠は、棋譜の分析のためのパソコンを自作することで知られているが、インタビューで、
「最新のはCPUに「ライゼンスレッドリッパー3990X」を使っています」
と明かした。
CPUはコンピュータの頭脳にあたるパーツだが、藤井二冠が名前を挙げたのは今年2月に発売された最新モデルで、お値段なんと約50万円。
通常の家庭用パソコンのCPUであれば、価格はせいぜい2万~3万円程度。
この超高級品が「将棋の分析に最適」と評するのは、今年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した将棋AI「水匠」の開発者である杉村達也氏。
「CPUの性能で読みの速さが変わります。
家庭用パソコンのCPUが1秒間に約200万手読むのに対し
藤井二冠のCPUでは30倍の6000万手読めます。
短時間でより多くの局面を検討できるので、
効率よく研究できます」
6月の棋聖戦第二局では、藤井二冠の妙手「3一銀」が、
将棋ソフトが4億手読んだ段階では悪手なのに、6億手読むと最善手になる
ことが話題となった。
「普通のCPUなら10分以上かかるが、
藤井二冠と同じものなら10秒で導き出せます」(同前)
将棋ライター・松本博文氏はこういう。
「高性能コンピュータが膨大な分析結果をはじき出しても、
咀嚼して自分の力にできるかは別問題。
超ハイスペックのCPUを使いこなせる藤井二冠の棋力こそ規格外です」
天才棋士だからこそ活かせる“手駒”なのだ。
※週刊ポスト2020年10月2日号
▲東京国立博物館
反藤原史観の旅ガイドとは違って、本書は多くの筆者の原稿の寄せ集めで、共通する史観のようなものは無い
毎日グラフの別冊なので、写真が多い
場所を筑紫(広く言えば九州全体、狭く言えば九州北部)に限って、古代史をテーマとしたシロウト向け数ページの文章や写真をゴチャゴチャ集めてある
やはり多数の筆者による共著というものは、全体を貫く一貫性もストーリーも無いので、イマイチ詰まらないなぁ、という印象
とりあえず最後まで読んだけどね
ホントにハズレの本なら、読書ノート書かないし、途中で読むのをやめる場合も多いです
(^_^;)
「朝8時ごろでしょうか、小室佳代一家が住むマンションの一階から
という大きな叫び声が聞こえました。
あれは小室佳代の声で間違いありません。
ちょうど朝のテレビで、紀子さまの誕生日文章の件を
放送していましたので…まさに秒速ですね。
あんなに大きな声なら、皇居まで届いたかもしれませんね(笑)」
(マンションの住民)
また小室佳代の親友で、圭さん祖父の遺産相続について代理人も務めたこともある人物も次のように語る。
「小室佳代から朝に電話がありました。
『紀子さまがようやく結婚を認めてくれました。
400万円はもう終わったこと。
この冬には眞子さまと圭を、
堂々と結婚発表させます!』
と喜んでいましたね。
どうやら紀子さまが誕生日の文章で
『長女の気持ちをできる限り尊重したい』
と発表したことを、結婚容認と受け取ったようです。
まだまだ問題が残っているようですが、
皆が幸せになることを祈っています」
(小室佳代の親友)
眞子さまの想いは“立皇嗣の礼”の後、今年中に発表される見込みだ。

なんだか超スゴい台風みたいですが
今のところ東京は雨も風もなく
ただ暑いだけ (;×_×;;)
台風10号は8/6未明にかけ、国内で戦後最悪の被害をもたらした昭和34年の伊勢湾台風に匹敵する戦後最大級の勢力に発達する見込みだ。
専門家は海面水温が高い海域を通り、大量の水蒸気を吸い上げたことが原因と分析。
11号以降の台風は日本列島により接近、上陸する恐れがあり、警戒が求められる。
「台風10号は(伊勢湾台風など)
戦後最大級の台風と比べても遜色ない」
気象庁の中本能久(よしひさ)予報課長はこう警鐘を鳴らす。
気象庁によると、台風10号は南大東島に接近するとみられる8/6午前3時に中心付近の最大風速が54メートル以上の「猛烈な台風」に変わり、中心気圧は915ヘクトパスカルとなる見込み。
930ヘクトパスカル以下の台風の上陸は伊勢湾台風を含め戦後3例しかない。
沖縄や奄美では最大瞬間風速85メートル(時速306キロ)が予想されている。
時速306キロって 新幹線の窓が開けば 感じるくらいの風? ((((;゚д゚))))

▲本当に83歳?
若大将も 年には勝てない
でも83歳でトレーニング
さすがだなぁと思う (^_^;)
やはり誤嚥は(ごえん)は侮れなかった。
誤嚥とは、本来なら口腔から咽頭、そして食道を通って胃に送られるべき食べ物や唾液が、誤って喉頭と気管に入ってしまうことです。
飲みこむ動作は「嚥下(えんげ)」と呼ばれ、誤嚥が見られる方はこの嚥下に障害が起きていることが多いです。
8/29、誤嚥のよる嘔吐で救急搬送され入院した歌手で俳優、加山雄三(83)が、誤嚥でせき込んだため、軽度の小脳出血を発症していたのだ。
当面の芸能活動を自粛することになった。
加山雄三は先月8/29夜、自宅で水を飲んだ後、誤嚥を起こして嘔吐。
その際にせき込んだことで小脳出血を発症した。
容体は安定しており開頭手術の必要もないが、治療と経過観察が必要なため活動自粛を決めた。
加山雄三は文書で
「トレーニングした後の水がうまくてさ、
がぶ飲みしちゃったんだよな。
年相応の飲み方をしなきゃね…」
とメッセージを送った。
加山雄三は昨年11月に脳梗塞を発症している。
今回の小脳出血との因果関係はないとみられるが、血流を良くする抗血栓薬を服用しており、激しいせきにより血圧が急上昇し、小脳出血を引き起こした可能性が指摘されている。
小脳出血について菅原脳神経外科クリニック院長の菅原道仁氏は
「歩行障害や手の震えなどが起こり得るが、
リハビリでかなり回復する」
と解説する。
