▲林芙美子展
▲林芙美子展
パチンコ業界というのは「隠れた巨大産業」などと言われて、最盛期には業界売上高が数十兆円とかのレベルの超巨大業界だったのは事実です
自動車産業が現在でも60兆円くらいですから、「たかがパチンコ屋」などと馬鹿には出来ない巨大な産業規模でした
グルグル回る数字が「777」などで揃うと、一気に何千発ものパチンコ玉が出る機種(パチンコ台)が開発されたのです
そうやって射幸性をドンドン高めた結果、ギャンブル好きな客がパチンコ屋に殺到した
しゃこうせい【射幸性】
偶然の成功や利益を狙う度合い。
簡単に言えばギャンブル性。
「射倖性」とも書く。
それまでの「勝っても数百円、数千円」といった庶民的かつ牧歌的な世界だったパチンコ屋が、1日で数万円、数十万円も勝ったり負けたりする荒っぽい鉄火場(バクチ場)へ変貌していったのです
ギャンブル好きな客というのはパチンコだけでなく、競馬競輪ボートレースなどいろいろなギャンブルをしますから、射幸性を高めてパチンコの魅力がアップすれば、他のギャンブルからパチンコに客が移動します
以下、パチンコ業界の特徴を3点、考察してみます
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1)パチンコ業界の第一の特徴として、風営法による警察の規制が厳しい業界というのがあります

風営法は、特殊接待営業(キャバクラなど)や、射幸心をあおる営業(パチンコ屋など)を規制しています
射幸性の高い機種(パチンコ台)にハマってパチンコがやめられなくなり、
パチンコ依存症という一種の精神障害
に陥る人が増えて、一家の大黒柱が家に生活費を入れなくなって家庭が崩壊、妻や子どもが路頭に迷うといった悲劇が激増しました
そのせいで社会的な批判が高まり、警察がパチンコ台の機種開発における射幸性の高さに歯止めをかけるようになりました
それでパチンコのギャンブルとしての魅力が低下して客離れが起き、現在のパチンコ業界規模は最盛期の3分の1程度まで落ち込んでいます(それでも10兆円前後で、まだまだ巨大ですが)
警察のサジ加減ひとつでパチンコ業界の盛衰が決まる
という業界ですから、パチンコ業界は警察利権の巣窟になるのは必定で、
警察を定年でやめた警察官OBが
パチンコ屋に天下り(再就職)して高給をもらう悪習
は今でも続いているはずです
天下りした警察官OBは、警察によるパチンコ店舗への抜き打ち検査(風営法で義務づけられている)の日時を事前に店に漏らしたりして便宜をはかり(もちろん不正行為です)、自分の存在価値を高めようとします
警察は体育会系の組織で先輩後輩の序列に厳しいですから、検査を担当する現役警察官も、先輩が天下りしているパチンコ店への風営法検査を厳しくできない訳です
自分も定年退職したら、お世話になる訳ですからね
そんな風に警察とベッタリ癒着した業界ですから、
「警察はパチンコ屋の下請け業者」
などと悪口も言われる訳です
パチンコ業界(各県に「××県遊技業協同組合」などという業界団体がある)も政治家に献金したりパーティー券を買ったりして「パチンコ業界に優しい政治家」を応援し、警察に圧力をかけてもらったりしてきました
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2)パチンコ業界の第二の特徴として、経営者に朝鮮半島系(いわゆる在日)が多いというのがあります
パチンコ屋は他の業種(例えば飲食業など)に比べると非常に儲かる商売です

飲食業1店舗の営業利益が、儲かってる店でも1日に数万円~数十万円だとしたら、パチンコ店は数十万円~数百万円と、ごく大ざっぱに言って10倍くらい儲かります
その儲かった利益の多くを、経営者が朝鮮半島へ送金する訳です
実は北朝鮮の独裁政権(→)を支えているのは
日本の北朝鮮系パチンコ屋からの送金だ
という指摘もあるほどです
いくら何でも、日本の単なる一つの業界が、一国を支えられるのか?という疑問もあるかもしれません
しかし北朝鮮は、ミサイルをバカスカ打ち上げて目立っていますが、その経済規模(GDP)は日本の100分の1以下の非常にちっぽけな国で、東京都世田谷区と同じくらいです
旧統一教会が、日本人信者に高価なツボを売ったりして集めたカネを、韓国へ送金していることが明らかになりました

それと同じように、北朝鮮系のパチンコ屋は、日本人パチンコ依存症患者から集めたカネを、北朝鮮へ送金している訳です
日本の大手マスコミは中韓工作員が支配していますから、こういった韓国や北朝鮮に都合の悪い情報は今まで報道されませんでしたが、ネット情報が普及してこういったパチンコ業界の裏事情を知る日本人が徐々に増えてきています
そのせいで日本の警察や課税当局も、今までのようにパチンコ業界に甘い顔を続けることが難しくなり、パチンコ台の射幸性規制を厳しくしたり、パチンコ業者に対する税務調査の強化をしています
結果としてパチンコ屋の客離れや脱税摘発が増えて、最近10年くらい、パチンコ屋の経営はドンドン悪化して、店舗数も減ってきた訳です
その通過点のひとつとして、パチンコ業界4位のガイアが、今日10/30倒産しました
詳しい記事は下の方を見てください
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3)パチンコ業界の第三の特徴として、違法な換金が行われているというのがあります
パチンコで儲かったことのある人は知っていると思いますが、パチンコで勝つとパチンコ玉を店の景品交換コーナーへ持っていって、ある特殊な景品(→)と交換します
昔の牧歌的な時代は、パチンコの景品はお菓子やタバコだったのですが、いつしかパチンコの景品と言うと、この特殊景品が主流になりました
そして、この特殊景品を手に入れた客は、店を出て、店のすぐ近くにある「景品交換所」へ行って、特殊景品を現金に交換(換金)します
この換金は、明白に刑法185条の賭博罪に該当する兇悪犯罪です
ではなぜこのような違法換金が横行し、警察が取り締まらないかと言うと、この「景品交換所」が形式的にはパチンコ屋と別経営になっているからです
これはパチンコ業界では「三店方式」などと呼ばれていますが、要するに賭博罪のがれの屁理屈(へりくつ)です
こんな馬鹿げた屁理屈で、パチンコ屋の換金制度を放置してきた警察もグルの兇悪犯罪と言えます
日本でギャンブル(賭博)を営業できるのは、地方自治体や特別な法律に基づいて設立された公企業(日本中央競馬会や日本船舶振興会など)に厳しく限定されており、その利益は地方自治体や国のものになって社会に広く還元するのが鉄則です
しかしパチンコ屋は単なる私企業(個人や株式会社)ですから、賭博営業は明白に刑法185条の賭博罪に該当する兇悪犯罪になります
しかも奴らは、儲かったカネを北朝鮮や韓国へ送金しており、日本国民にはまったく還元していません
こんな中学生でも分かるような単純な犯罪事実さえ、中韓工作員が支配している日本の大手マスコミは報道しません
パチンコ業界も警察も、こんな茶番劇をいつまで続けるつもりか知りませんが、そろそろ限界に近づいているように思います
いま世界中から日本へ観光客が押し寄せています
そんな外国人観光客が、日本のパチンコ屋を見て
「なぜ日本では、各駅前にカジノがあるのか?」
と非常に不思議に感じているそうです
こんな外国人観光客の素朴な意見も、中韓工作員が支配している日本の大手マスコミは、絶対に報道しません
(^_^;)
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(株)ガイア(→)(TDB企業コード:260355595、東京都中央区日本橋横山町7-18、代表大山努氏)は、
10月31日に期限を迎える手形決済が困難となり、自主再建を断念。
10月30日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全・監督命令を受けた。
当社は、1984年(昭和59年)9月に設立されたパチンコホール経営業者。
「GAIA」の店舗名で全国チェーンのパチンコホールを展開するほか、不動産賃貸・売買事業などを手がけていた。
中核となる「ガイア」のほか、エリア戦略、店舗規模によって「メガガイア」「サイバーパチンコ」「アイオン」「ガイアネクスト」などの店舗名で出店し、ピークとなる2006年5月期には年収入高約5853億500万円を計上していた。
2020年以降は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下で臨時休業を迫られるなど2023年5月期の年収入高は約1895億4200万円に減少していた。
資金負担が生じるなか、店舗売却等で収益改善に努めていたが、電気代の高騰や新台の確保、関係会社に対する特別損失を計上したことで同期は大幅な赤字を計上。
この間、金融債権者の協力を得て、自主再建を目指し私的整理を進めてきたが、資金繰り悪化に歯止めがかからず、10月31日に期限を迎える手形決済が困難となり、自主再建を断念。法的手続きにより再建を目指すこととなった。
申請代理人は弁護士岡野真也(東京都中央区日本橋本石町3-1-2、岡野真也法律事務所、電話03-6804-8388)ほか8名。
監督委員には弁護士永沢徹(東京都中央区日本橋3-3-4、永沢総合法律事務所、電話03-3273-1800)が選任されている。
▲トヨタの自動車生産のさきがけ「オートモ号」
10/22~24に原作「放浪記」を読む
10/26に新宿区落合の旧林芙美子邸(現記念館)見学
林芙美子の書斎(→)
そして今日10/29,映画「放浪記」を観る
まさに「放浪記」漬けの一週間 (^_^;)
原作は日記の抜粋なので、やや断片的でストーリー性が弱かったのだが、映画はちゃんと脚本で筋立てられている
しかもすでに原作を読んでいるので分かりやすかった
まず最大の印象は、主演・高峰秀子の秀逸な演技力
高峰秀子(→)と言えば超美人女優だが、その美人度をぐっと抑えて地味な(ややブサイクな)化粧で登場
貧しさから来る卑屈さや悔しさを、表情や姿勢、歩き方など全身を使って見事に表現していてホレボレした
私がこれまでに観た日本映画が何百本になるか数えていないけど、間違いなくベストテンに入る素晴らしい作品
原作だけでは勝手に想像するしかなかった、大正末期から昭和初期にかけてのカフェーがどんな雰囲気だったのか、かなり具体的に感じ取るができる
以前に永井荷風原作の映画「墨東奇譚」(→)を観て、カフェーの場面があった

この映画も実にいい作品で、「ベストテン」に入れたい映画
だからカフェーのそれなりのイメージはあったのだが、「墨東奇譚」で登場するカフェーは銀座にあった「タイガー」という当時の一流カフェー
今で言えば銀座の高級クラブのような、超豪華な内装や雰囲気
永井荷風は親が金持ちで、しかも小説が売れてますます金持ちになったので、そんな高級カフェーに出入りしていた
今日の映画「放浪記」の中のカフェーは、いかにも貧しい時代の場末のカフェーといったうらぶれた感じ
カフェーの客も接待する女性(女給)も、いかにも貧しげで、非常にリアリティがあった
この映画は1962年公開なので、制作に携わった人たちの頭の中には、少し前の時代のカフェーの記憶が生々しく残っていたはず
だから、かなりリアリティの高い再現かと思われる
貧しさに辛苦しながら大成した作家と言うと松本清張(→)がいて、林芙美子と年代も近い(清張は芙美子より6歳下)
私は清張の大ファンで、彼の作品の大半は読んでいるのだが、彼の作品の背景にも、極度の貧しさがある
清張には軍隊経験があるのだが、その自伝作品「半生の記」によると、彼は軍隊生活を余り苦にせず、むしろ楽しいと感じていたようだ
なぜかと言えば
「軍隊は毎日3回メシが食える」
というもので、清張の若き日の貧しさが想像できる
とにかく貧しさのせいか、清張の作品は暗い、徹底的に暗い、底なしに暗い

私は清張作品、特に推理小説を読んでいると、いつも気分がトコトン暗くなり、何か背筋がゾクゾク寒くなるような恐怖感に襲われて、いい年して自宅のトイレに行くのも怖くなる
それくらい読む人を独特の小説世界に引き込むパワーがあり、読み始めるとやめられなくなるのが清張作品だ
清張原作の映画というと「砂の器」(→)が有名で、名作映画とし名高い
「放浪記」と似たような絶望的に貧しい場面もある
ただ私は、映画の出来として「砂の器」はさほどいい映画とは思えず、「放浪記」の方がはるかにいい
私は幸いにも余り実体験していないが、とにかく高度成長期(1960年~)より前の日本には、まるで空気のように「貧しさと空腹感」が充満していたようだ
そんな貧しい日本が、わずか20~30年で、世界でも有数の豊かな先進文明国に駆け上がった
だから私の子どものころの日本は、今ほど豊かではなかったが、去年より今年、今年より来年が飛躍的に良くなるという時代
一人一人にはそれなりの悩みや苦労があったかもしれないが、日本社会全体としては「未来への希望」が充ち満ちていた
だから、今の若い人たちを見ると、私は少し気の毒な気分になる
貧しさと空腹感 → 未来への希望
これは世界史的に見ると、大変な「事件」だ
それより半世紀以上も前を生きた二人、時代も貧しさもよく似た清張と芙美子
だが、清張の底なしの暗さに比べると、芙美子の世界は妙に明るい
「お金が無い無い」と常にピーピーしているのだが、読んでいて気分が落ち込んで暗くなるようなことは少ない
これはもう、清張と芙美子の「気質の違い」のようなものなのだろうか
芙美子が割と社交的で、いつも近くに男(貧しいけど)がいたのに対して、若い頃の清張の周囲には女気や友人が乏しく、いつも孤独で古代史や文学の本を読んでいたようだ
芙美子が天性の文学的才能で突っ走った感じがするのに対して、清張は才能もさることながら、とにかく「努力の人」という感じがする
最近知ったのだが、清張は英語が得意だった

大作家になってしょっちゅう海外へ取材旅行へ出かけるとき、出版社が現地通訳を用意してくれるのだが、清張は余り通訳には頼らず、自分で英語を話して取材していたらしい
清張は小学校しか出ていないので、英語が得意と知って意外だったが、小説が売れてお金が自由になってから、英語の家庭教師(もちろん外国人)を雇って、英会話の訓練を欠かさなかったそうだ
清張は晩年に自分の人生を振り返って
「とにかく、努力だけはした」
と語っているのだが、実に清張らしい、重みのある発言だと思う
芙美子はイケメン好みで、しかも「カネと力は無かりけり」のイケメンばかりにホレて、いつも貧乏生活で苦労している

その一方で、近所に住んでいる、イケメンではないが芙美子にお金を貸してくれたりするスゴく「いい人」の印刷工・松田さん(映画では安岡さん、加東大介が好演)が芙美子にホレて「一緒に所帯を持ちませんか?」などと接近するのだが、芙美子は拒絶する
もちろん、芙美子(→)のイケメン好みもあるのだが、
やはり女は「安心感のあるいい人」よりも
「少し危険な雰囲気の男」に魅力を感じるのかなぁ
などと思ったりもする
すごくいい女がヤクザにホレて、親をハラハラさせたりするケースが世間にはよくあるように感じるが、この辺が関係しているのか?

(でもそんな雰囲気の男は、たいてい浮気するんだけどね)
この2種類の男が芙美子の前で取っ組み合う場面もある
芙美子を取り巻く男たちには作家志望などの文学関係者が多く、性格的にはかなり危ないゆがんだ性格の男が多い(だから文学など目指す訳だが)
その中ではこの松田さん(安岡さん)と、芙美子の晩年の伴侶となった画家の手塚緑敏は、珍しくマトモな人物と言える(印刷工と画家で、二人とも文学には関係ないからね)
芸術の三大ジャンルとして、音楽、美術、文学があるが、文学が一番アブナイ人間が多いように思う(私の偏見かもしれないが)
自殺者が多いのも文学だ
もちろん、芙美子自身も相当にアブナイ女で、最近は薄れたとはいえ、かつて林芙美子と言えば「悪女」のイメージだった(だから魅力的なんだけど)

林芙美子原作「放浪記」は、これまでに3回映画化されていて、成瀬巳喜男監督の当作品が一番評判がいいようだ
そんな訳で、他の2作品も観てみたい気もする
まあ、その前に森光子(→)の舞台「放浪記」かな
成瀬巳喜男監督による林芙美子原作映画には、他にも1951~1955年公開の「めし」「稲妻」「妻」「晩菊」「浮雲」などの名作があり、これから観るのが楽しみだ
(^_^;)
▲コキアの紅葉
▲林芙美子の書斎

林芙美子(→)の代表作「放浪記」を読んだ
新潮文庫で576ページという、やや長い作品で、第一部、第二部、第三部に分かれている
第一部を読み始めると、話があちこち飛んで時系列が混乱しているような、ストーリー性が弱いような印象があって、はっきり言って読みにくい
これが原因で、途中で読むのを断念する人も多いらしい
話の途中に沢山の詩が入っているので、自伝的作品でありながら、詩作前後の背景解説付き詩集といった感じ
それでも何とか第一部を読み終え、一晩寝たら頭の中が少し整理されたのか、翌日に読んだ第二部以降は分かり易かったし、急に面白くなった
自伝的作品と言っても、中心は芙美子が20代の若く貧しかった時代の話
それも半端ない貧しさで、毎日の食べものを手に入れるのに汲々としている
空腹なのにお金が無く、下宿の下の階に忍び込み、炊事場で味噌汁を盗んで飲む場面には唖然とする
その中でも読書だけは、まさに寸暇を見つけて続けており、本当に文学が大好きなのがズキズキ伝わってくる
今からちょうど120年前の、明治36年(1903年)生まれなので、私から見ると祖父祖母の時代と重なる
この時代の貧しい家庭の子どもが小学校を卒業すると、男の子は丁稚奉公、女の子は女中奉公などに出るのが普通で、小卒で社会に出るのが当たり前の時代だった
大学へ行くのが珍しくもない現在のような豊かな社会になったのは、1960年代の高度成長以降のわずか半世紀ちょっとで、日本の歴史から言ったらごくごく最近の話なのだ
芙美子は小学生のころから、親と一緒に行商をしており、今で言えば飛び込み営業のような仕事もする貧しい家庭の子どもだった
旧制中学(女の子は女学校)へ進学できるのは、富裕な家庭の子どもに限られていた
そんな時代だったが、小学校の教師が芙美子の文学的才能を発見し、そのすすめもあって女学校に進学する
親からの支援はほとんど期待できず、
「昼は女学校で、夜はバイト」
「周囲はお金持ちのお嬢さまばかり」
という十代のキツイ4年間を過したはずなのだが、その辺の苦労話が本書には少ない
もしかすると、キツイながらも結構楽しい女学校生活を送っていたのかもしれないし、芙美子にはそんな精神的たくましさ(生命力)がある
芙美子自身も、芙美子の母親も男運が悪くて、つまり非常に稼ぎの悪い男とばかりくっついて、この辺の男関係や貧困生活の苦労話が哀愁を帯びている
確かに明日をも知れぬ毎日、赤貧洗うがごとしの毎日なのだが、その割に芙美子本人は余り深く悩んだりせず、「お金が無い無い」と言いながらもあっけらかんと毎日を送っており、たくましい生命力を感じさせる
おそらく「何も無い者の強み」というのか、もうこれ以上落ちようがない境遇のもたらす不思議な安心感のようなものがあったのかもしれない

雑貨の行商のような仕事から始まって職を転々とし、カフェーの女給(今ならキャバ嬢?)もしていて、この辺の描写が森光子(→)の有名な舞台「放浪記」で詳しく演じられていたらしい
舞台を生で見ることはなかったが、舞台を記録した動画が手元にあるので、「放浪記」の映画とともに近日中に観たいと思っている
実は、私が以前に住んでいたマンションの上の方の階に森光子が住んでいて、エレベーターで時々一緒になったりしていたのだが、話しかけたりお近づきになることはなかった(少しもったいなかったかな)
もちろん大女優なのだが、すぐ近くで見ると小柄なおばあさんといった感じ
こんな人が20代のカフェーの女給の役をやるのかなと不思議に思った
カフェーの女給をテーマにした文学と言えば永井荷風なのだが、彼はカフェーのお客となる金持ちの中年男で、芙美子はカフェーで働く貧しくて若い女という、まったく正反対の立場
荷風が足繁く通った銀座のカフェー「タイガー」の名は「放浪記」にも登場するが、荷風と芙美子が同じ店内で客と女給として同席したことは、たぶん無かったようだ
本書「放浪記」全体を読んだ印象としては、21世紀の今なら何の違和感もなく普通に生きていそうな現代的感覚の女性が、たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまったような感じがする
「エセー」を書いたモンテーニュは、「中世に生まれた近代人」などと言われているが、彼は貴族だったので経済的な苦労はしていない
以前に瀬戸内寂聴(→)の動画を見ていたら、
「若い頃はいろいろ苦労したけど、
だんだん時代が私に追いついてきたので、
いまは生きるのがとても楽になりました」
というようなことを言っていた
芙美子の場合、時代が彼女に追いつくことは無かったのかもしれないが、たまたま雑誌に連載した「放浪記」(第一部)が人気となって、単行本もベストセラーになった
またたくまに文壇の寵児となり、貧困を抜け出して経済的成功も手に入れた
この辺の事情は、ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」を連想させる
19世紀の英国の売れない作家が、お金のためにしたくもない仕事をしたり、書きたくも無い雑文を書いたりして貧しく暮らしていたが、ある日遠い親戚の遺産が転がり込み、本当に書きたい作品だけを書くという恵まれた書斎生活に移行した喜びにあふれている
ジョブズ(→)は「適度なレベルのお金」( some money )が手に入ったら、それ以上のお金は人生にとって大切ではないと言ったが、「適度なレベルのお金」すら無いとかなり悲惨な人生になるので、運良くそれが手に入った時の喜びは非常に大きいようだ
ただ芙美子の場合、出版社に原稿を持ち込んで断られたりした貧困時代の記憶のせいか、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けるので、同時代の同業者(作家)たちからは「仕事を奪う女」として嫌われていたそうだ
およそ人間には
遠くから見ると立派な人物なのだが、近くで付き合うとイヤな奴・・・(1)
遠くから見ると悪党だが、近くで付き合うとすごくいい人・・・(2)
の2種類がいるようだ
政治家で言えば(1)は中曽根康弘、(2)は田中角栄(→)と言われているが、どうなのだろうか
芙美子は、(2)のタイプだったのかもしれない
冒頭の新潮文庫の表紙に書かれた有名な言葉
「花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき」
は、芙美子の貧しくて苦しい前半生を象徴しているとされているが、作家の村岡花子に送った芙美子からの手紙に書かれた下の文章こそ、彼女の生命力を象徴している
「多かりき」と「多かれど」の違いに注目してください
経済的な成功を手に入れた芙美子は、新宿区に豪邸を建て、画家の男(手塚緑敏、→)と幸せな家庭生活を送っていた
だが、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けることで無理をし過ぎたせいか、1951年(昭和26年)にわずか47歳であっけなく急逝(心臓麻痺)
みじか過ぎる花のいのちを散らしてしまった
仕事の無理もあるが、若い頃の貧困による劣悪な食生活で栄養が偏り、免疫力が低下していたのではないだろうか
芙美子が急死した場所は、食レポ(グルメ紀行文)を書くために訪れたうなぎ屋で、芙美子はすでに超人気作家になっていたのに、そんな新人ライターがするような雑仕事まで引き受けていた
それで「仕事を奪う女」として文壇からは嫌われていて、芙美子の告別式では葬儀委員長をつとめた川端康成(→)が
故人は、文学的生命を保つため、他に対して
時にはひどいこともしたのでありますが
しかし、後二、三時間もすれば
故人は灰となってしまいます。
死は一切の罪悪を消滅させますから
どうか故人を許して貰いたいと思います
と弔辞を述べて、参列していた多くの芙美子ファンの涙を誘った
芙美子が一緒に暮らした手塚緑敏は、画家としての才能は開花せず、彼女の作家収入に依存して、今で言う「主夫」として暮らしていた
今ならそんな夫婦は珍しくないが、何しろ1世紀近くも前なので、周囲からは「髪結いの亭主」とか「ヒモ」とか言われて白い目で見られていたかもしれない
でも手塚緑敏はそんなことを気にせず、右上の写真のように芙美子と仲良く楽しく暮らしていたようで、芙美子と同様に「たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまった」現代的感覚の持ち主だったようだ
芙美子は1903年に生まれ、その前半生は極貧の中で生き、27歳(1930年)から「放浪記」が売れに売れて極貧から脱し、多くの仕事と実直な夫(緑敏)に囲まれて、充実した後半生(約20年間)を生きた
芙美子が建てて手塚緑敏との楽しい生活を送った豪邸は、現在は林芙美子記念館として公開されている
近日中に尋ねてみたいと思っている
(^_^;)
いい話だなぁ~
(^_^;)
世の中には、ビックリするほどものを知らない人というのがいて
法律で民事と刑事の違いを知らない人
妻の不倫でも、離婚では妻が夫から慰謝料をもらえると思っている人
などという「いい年した大人」が結構な比率で実在していて、周囲を爆笑の渦に巻き込んだりしているようです
これに比べれば、下の
パレスチナとパキスタンの違いを知らない夫
などはカワイイもので、実害も少ないように思います

むしろ、こんなどうでもいいことを「恥に思っている」妻の方が、少し考えすぎ、人の目を気にしすぎのような気もしますけどね
人生なんて、電気の交流と直流の違いを知らなくても、紫式部と清少納言の違いを知らなくても、何の問題もなく生きていけます
ただね、今はスマホからググれば(グーグル検索すれば)、たいていのことはスグに分かる時代ですから、何でもスグにググるくせをつけておくと、いろいろお得だとは思いますよ
(^_^;)
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「知ろうとしないことを恥に思わない夫」
を持つという桑島ゆうみさん(仮名)35歳は言う。
「今回のパレスチナ問題は
ニュースでやっていても
夫には話題を振らないようにしています」
パレスチナ問題が連日ニュースに流れている今日このごろ、ゆうみさんは夫の無教養を決定的に知ることになったという。
「いつまで続くのかしらねパレスチナ問題は、と私が夫に話しかけると、
「ほんとだよな。カレーでも食って平和にしてりゃいいのにな」
と言ったんです。私、意味がわからずに、ずっと考えていたんですが・・・」
ゆうみさんが考えに考えた結果、夫はパレスチナとパキスタンを
「5文字の”パ”つながり」
で混同しているのではないかと疑った。
「いくらなんでも、そんなことあるはずがないと思いたかったのですが、
『カレー』だなんて、他に理由が思い当たりません。
聞くのが怖かったので確かめてはいないですけど……。
* * * * * * *
そう言えば、イスラエルとインドは「イつながり」、ウクライナとウイグルは「ウつながり」ですね
(^_^;)
スティーブ・ジョブズ、アップル社を創業した天才的経営者
1955年2月24日に生まれ、 今日からちょうど12年前の2011年10月5日に、56歳で亡くなっています
2003年、48歳のときに膵臓ガンが発見されましたが、当時東洋文化に傾倒していたジョブズは西洋医学的な手術を拒否し、菜食主義、ハリ治療などを用いて完治を図ろうとしました
9か月後の検査でガンが大きくなっていることが分かり、ジョブズは上の判断をのちに相当後悔しています
上の動画は治療の末期、すでに死を覚悟したジョブズの言葉です
お金には麻薬のような性質があり、手に入ると、もっともっと欲しくなるようです
人生で「適度なレベルのお金」が手に入ったら、別なことを追求すべきだと、ジョブズは上の動画で言っています
喜劇王のチャップリン(→)は、次のように言っています
人生は恐れさえしなければ、とても素晴らしいものだ。
そのために必要なものは、
勇気、想像力、そして少しのお金だ。
Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it.
All it needs is
courage, imagination, and some money.
この some money こそ、ジョブズの言う「適度なレベルのお金」でしょうか?
「適度なレベルのお金」がどれほどの金額かは意見が分かれるかもしれませんが、さほど大きな金額ではないはずです
松下幸之助(→)、松下電器(現在のパナソニック)を創業した日本の天才的経営者
彼は、1965(昭和40)年、本社を置く大阪府門真市が主催した成人式に出席しました
そして新成人たちを前にして、次のように話しました
もしできることならば、わたしは
自分のいっさいを投げ捨てても
みなさんの年齢にかえりたい
このとき松下幸之助は、71歳でした
この言葉には、成功した経営者が若者に向かって教訓を垂れているのではなく、「若い頃に戻りたい」という、老人の正直で切実な叫びを感じます
ジョブズは17歳の時、
「毎日を、それが人生最後の1日だと思って生きれば、望んだ人生になる」
という言葉にどこかで出会いました
それは彼にとってとても印象的な言葉に映りました
その日を境に彼は毎朝
「もし今日が人生最後の日だとしても、
いまからやろうとしていたことをするだろうか?」
と、鏡に映る自分に問いかけるようにしていたといいます
そのジョブズが人生の最後に、冒頭の動画のような言葉を話しています
ガンなどの重病になると、医者から「期待余命×年」とか「5年生存率××%」などと言われることがあります

この言い方を借りるなら、すべての人間は生まれた瞬間に
「期待余命81年」あるいは「81年生存率50%」
ということになります(女性は87年)
いま60歳の男性なら
「期待余命24年」あるいは「24年生存率50%」
になります
これは世界最高水準の、日本人の数字です
逆に短いと言われているロシア人では、生まれた時点で男性60年、女性73年です
この数十年という期間が、若いうちは非常に長く感じられて、ほとんど永遠のような気がするものです
人生を山道にたとえることがあります
若いうち目の前には山頂へ続く長い長い道があり、その向こうには無限の青空が広がっているように見えます
ところが人生のある時期に差し掛かると山頂に到達し、その先を見ると、下り坂の先に麓(ふもと)が見えます
その麓には大きな穴があいていて、それが死なのです
若いころにはまったく見えなかった、死という大きな穴が、いま目の前にありありと見える
それが人生のようです
((((;゚д゚))))